祖母の死を受け入れられないです
母方の祖母が亡くなりました。
最期に会ったのは成人式です。
私は今年で28歳になります。
幼少期はよく泊まりに行っておりましたが、中学の頃に祖父が亡くなってから、正月に会いに行く程度になってしまいました。
そして高校卒業と同時に上京し、サービス業をしていたため年末年始や盆に地元に帰る事も出来ずにいました。
22歳で結婚もしましたが、足腰の弱かった祖母には長距離移動の負担が重く、結婚式には出席出来ませんでした。
しかも、結婚の報告も母づてに伝えてもらい、自分の口からは何も報告もしていませんでした。
父方の祖母と実家でずっと同居していたので、何かと言えば自然と父方の祖母優先で、母方の祖母の事まで考えられて居なかったのが正直なところです。
それでも母方の祖母の事も大好きでしたし、どうでもよかった訳でもありません。そろそろ会いに行かなきゃー!とは常々思っていました。
でも思っているだけで、行動に移しませんでした。
電話の一本もしてやれず、
年賀状すら出した事がありません。
主人を紹介したこともありません。
気付いた時には祖母は入院。
コロナウイルスが蔓延し、病院側の判断で面会の許可も降りず
母から、おばぁちゃん、もう長くないかも
。と連絡が来てからあっという間に亡くなってしまいました。
本当に何も…何も出来ずに祖母は逝ってしまいました…
声も聞かせてやれず、
顔も見せてやれず、
ありがとうも言えてません。
いつも優しくしてくれたおばあちゃん
大好きだったのに
なんて思いやりのない、薄情な孫なのかと、自分で自分が嫌になります。
なぜ8年もの間、会いに行かなかったのか?
後悔しかありません。
もう全てが手遅れです。泣いても泣いても涙が止まらず、夜も眠れません。
祖父が亡くなったから10年以上、大きな家でひとりで寂しい夜を過ごして居たのではないかと思うと、余計に辛いです。
そしてずっと住んでいた家を離れ、最後は病院で亡くなったおばあちゃんを想うと涙が止まりません。
おばあちゃんの死を受け入れられないのは、おばあちゃんに何もしてあげられなかった自分を認めたくないのだと思います。
どこまでも自分勝手で、本当に嫌になります。
大好きなおばあちゃんに逢いたいです。
この想いはおばあちゃんに届くのでしょうか…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
供養なさることです
お尋ねの文面を拝読していて涙がこぼれてきました。さぞ後悔なさっているでしょう。
ですが、若い頃はあまりお祖父さん、お祖母さんに気持ちが向かないのは程度の差こそあれ、誰にも思い当たることです。お金目当てみたいな人は別でしょうけど……。
それでもあなたは、こんなことではいけなかったと反省しておられる。尊い事です。自分が間違っていたと気づくことができたのですから、それはとても素晴らしい事です。申し訳なさを感じることができたのは亡くなったお祖母さんのお陰です。感謝の気持ちをもちつづけてください。お祖母さんがあなたをそんな人に育ててくれているわけです。母方のお祖母さんということで、いつも身近においでになったわけではないかもしれませんけど。
私たちの浄土真宗という宗旨では、ひとは願うより願われていると考えます。愛するというより愛されている、と言いかえてよいかもしれません。愛され続けてきたからこそ、申し訳なかったと反省する気持ちが湧いているわけです。そのお気持ちをいま一緒に生きている人々に対する愛のある行為として「恩おくり」(この言葉をご存知なければ検索してみてください)なさることがお祖母さんに対する孝行ということになろうかと思います。
また仏教には供養という考え方があります。供養という言葉の持つ意味は広いものですから一言では説明し足りません。が、お祖母さんがそばにいてくれたら喜んでくれるようなことをこれからの人生であなたがなさっていくのが最高の供養になるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
とても有難いお言葉をありがとうございます。
無事に祖母の通夜と告別式が終わりました。
祖母は、私の母含め6人も子供がおり、孫だけでも10人以上、さらに曾孫も数人おります。
たくさんの人に愛された祖母でした。
最期は母と母の兄に看取られて、笑ったような顔で静かに息を引き取ったとのことです。
生前に会えなかった事は、この先も後悔の気持ちとして消える事は無いと思いますが
お別れの時、「ありがとう」と「さようなら」が言えました。
最期に触れた、祖母の冷たくなった頬の感触が忘れられず、葬儀が終わった今でも、やはり、涙は止まりませんが
手紙も棺に入れて、祖母と一緒に燃やしてもらい、ちゃんとお別れが出来たのでよかったです。
愛が深いからこそ、悲しみが深い
それはとても辛い事ですが、とても幸せな事でもあると、今は感じています。