恨まれた人の末路は不幸ではないですか?
例えばの話になってしまうのですがテレビの芸能人とかを見ていても不倫略奪婚の人達が普通に幸せそうに暮らしていたり、意地悪なことを色んな人にしている嫌な上司がずっとのさばっていて失脚もしなかったりと、必ずしも恨みを買っているような人達が不幸になっている訳では無いように感じます。
それなら何故【因果応報】とか、【あいつはろくな死に方しない!】というような言葉があるのでしょう?
もう何年も前ですが私のことを退職勧奨した上司は今も会社にいるらしいですし、私のことをいじめた同級生は社会人になった今もずっと威張っているようです。
必ず自分に返ってくるなんて言葉が本当ならば、ニュースの犯罪者はみんな呪い殺されなければおかしいことになってしまいます。
前に友達と思っていた人とトラブルになり恨みが消えません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悪因苦果
拝読させて頂きます。
例えばのお話ですが…その悪をした人達は本当に心から安心して毎日を生きていくことができるでしょうか?心から幸せに生きていくことができるでしょうか?一切の不安なく生きていくことができるでしょうか?
悪いことをしたその人達が人生終わる時に何の後悔なく死ぬことができるでしょうか?何の憂いもなく安心して死ぬことができるでしょうか?
自分の犯した悪いことはフッとした瞬間にいつでも頭の中によみがえってきます、拭い去ろうとしても消し去ろうとしても無かったことにしようとしても、消そうとすればするほどに深く本人の心の奥底に刻まれていきます。
そして死の間際には本人は何ら抵抗することもできませんし、どんなに言い訳しようがその罪を免れることはできませんし、許されることもありません。
そのまま罪を背負って地獄に落ちて流転するのみです。己の罪とがを背負いひたすら後悔しても懺悔しても地獄に落ちていくしかありません。
今この時瞬間はいかにも円満で幸せそうでも何不自由なく生きていようともそれは見せかけの姿です、うわべだけの姿です。
悪いことをしたその人達の本当の心の奥底では不安と恐怖がしっかりと本人を取り巻いているのです。蛇のとぐろに巻かれるようにしっかりと重い鎖のように繋がれているのです。
決して自分からは逃れられないのです、神仏やご先祖様方がしっかりとその人達のことを見ています。傷つけられた方々や被害を受けた方々がその人達のことをその罪を覚えています。罪は決して消え去ることはありませんし、許されることもありません。必ず悪には苦しみの報いが本人に訪れます。
怒りで燃えぬように
呪いたくなるほどの恨み憎しみを持つこともありますよね。解ります。私も呪うほどに恨んだことがあります。
でもね。「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、誰かを憎み続けることは、自分を苦しめることにもなるのです。
お釈迦様は、我々の魂の中に仏となるための種(仏種)が植わっていると仰っている。その種を成長させ花を咲かせるように、成仏することこそが仏教の目的であります。
逆に、怒り憎む行為を焦種(しょうじゅ)といい、仏種を焼いて成仏から遠ざかる行いとされています。なので、出来れば怒りは捨て去って下さい。
因果応報なのに、と思われていますが、今生に於いて報いを受けないと、来世においてその報いを受けることになります。
「三世(過去世、現世、未来世)両重の因果」といい、今現れていることは過去世に依るもの。今の行いは来世に現れるものであります。とても恐いことです。だからこそ、現世を丁寧に生きること、そして苦難があれば、来世へ持ち越さぬ為の修行と思って潔く受けることです。
どうぞ、ご精進下さいませ。
拝
質問者からのお礼
ありがとうございます!!
話を聞いていただきスッキリしました。