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恨まれた人の末路は不幸ではないですか?

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例えばの話になってしまうのですがテレビの芸能人とかを見ていても不倫略奪婚の人達が普通に幸せそうに暮らしていたり、意地悪なことを色んな人にしている嫌な上司がずっとのさばっていて失脚もしなかったりと、必ずしも恨みを買っているような人達が不幸になっている訳では無いように感じます。
それなら何故【因果応報】とか、【あいつはろくな死に方しない!】というような言葉があるのでしょう?
もう何年も前ですが私のことを退職勧奨した上司は今も会社にいるらしいですし、私のことをいじめた同級生は社会人になった今もずっと威張っているようです。
必ず自分に返ってくるなんて言葉が本当ならば、ニュースの犯罪者はみんな呪い殺されなければおかしいことになってしまいます。

2021年4月20日 8:20

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悪因苦果

拝読させて頂きます。
例えばのお話ですが…その悪をした人達は本当に心から安心して毎日を生きていくことができるでしょうか?心から幸せに生きていくことができるでしょうか?一切の不安なく生きていくことができるでしょうか?

悪いことをしたその人達が人生終わる時に何の後悔なく死ぬことができるでしょうか?何の憂いもなく安心して死ぬことができるでしょうか?

自分の犯した悪いことはフッとした瞬間にいつでも頭の中によみがえってきます、拭い去ろうとしても消し去ろうとしても無かったことにしようとしても、消そうとすればするほどに深く本人の心の奥底に刻まれていきます。

そして死の間際には本人は何ら抵抗することもできませんし、どんなに言い訳しようがその罪を免れることはできませんし、許されることもありません。

そのまま罪を背負って地獄に落ちて流転するのみです。己の罪とがを背負いひたすら後悔しても懺悔しても地獄に落ちていくしかありません。

今この時瞬間はいかにも円満で幸せそうでも何不自由なく生きていようともそれは見せかけの姿です、うわべだけの姿です。

悪いことをしたその人達の本当の心の奥底では不安と恐怖がしっかりと本人を取り巻いているのです。蛇のとぐろに巻かれるようにしっかりと重い鎖のように繋がれているのです。

決して自分からは逃れられないのです、神仏やご先祖様方がしっかりとその人達のことを見ています。傷つけられた方々や被害を受けた方々がその人達のことをその罪を覚えています。罪は決して消え去ることはありませんし、許されることもありません。必ず悪には苦しみの報いが本人に訪れます。

2021年4月20日 16:09
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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怒りで燃えぬように

呪いたくなるほどの恨み憎しみを持つこともありますよね。解ります。私も呪うほどに恨んだことがあります。
でもね。「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、誰かを憎み続けることは、自分を苦しめることにもなるのです。
お釈迦様は、我々の魂の中に仏となるための種(仏種)が植わっていると仰っている。その種を成長させ花を咲かせるように、成仏することこそが仏教の目的であります。
逆に、怒り憎む行為を焦種(しょうじゅ)といい、仏種を焼いて成仏から遠ざかる行いとされています。なので、出来れば怒りは捨て去って下さい。
因果応報なのに、と思われていますが、今生に於いて報いを受けないと、来世においてその報いを受けることになります。
「三世(過去世、現世、未来世)両重の因果」といい、今現れていることは過去世に依るもの。今の行いは来世に現れるものであります。とても恐いことです。だからこそ、現世を丁寧に生きること、そして苦難があれば、来世へ持ち越さぬ為の修行と思って潔く受けることです。
どうぞ、ご精進下さいませ。

2021年4月20日 9:33
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有り難し
おきもち

初めまして。 精神障害(主に鬱病)を発症して20年を経て寛解した僧侶です...
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質問者からのお礼

ありがとうございます!!
話を聞いていただきスッキリしました。

「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

有り難し有り難し 22
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苛まれ続けるのならば死を選びたい

この世に因果応報はないのでしょうか? 私は学生の時に集団いじめを受け、卒業してからも今までずっと容姿のことで批判されたり、外出先で出くわそうものなら大声で悪口を叩かれるので一時期は買い出しすら恐怖でした。 やはり、そういった出来事が自分の中で積み重なって性格も歪んでしまい、大学生活はずっとひとりぼっちで、国家試験も落ちて、現在は毎日泣きながら予備校に通っています。 極めつけに、私をいじめていた女共は今彼氏もできて、友達に囲まれて幸せそうです。 現在は遠く離れた土地にいますが、腐れ縁っていうのですかね、以前ばったり会って、それはそれは幸せそうでした。 私は信頼できる友達も、相手もいないのに。 ふとした瞬間に、涙が溢れます。 予備校にいるときに泣きたくなかったのに、この間はついこぼれてしまいました。 常に、幸せそうな人を見ては憎んで心の中で貶してしまう自分が嫌で、日頃から出来損ないの社会不適合者と、自分を罵ってしまいます。 正直言って、恋人が欲しいとは思っていません。ですが、いじめてきたやつらは幸せで私はどん底にいることが悔しくて、情けないですし、 街で仲の良さそうなカップルをみると、微笑ましいより、憎しみが湧いてきてしまいます。そして「私はそういう相手がなんでいないんだ」とか、普段なら考えないことも考えてしまいます。 多分、恋人が欲しいというのは、女に生まれてしまったことによる生存本能だとわかっているのですが、今の状況が惨めすぎてそんなつまらないことに囚われてしまっています。 この様な劣等感に、苛まれ続けない良い考え方があれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 30
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ