初産38週での死産 乗り越えたいです
30代半ば、不安はありましたが、普通に出産出来ると思っていた矢先、先月38週までお腹の中で育った息子を死産しました。臍の緒が首に絡んでいたのが原因でした。事故とはわかりながらも、どうして自分の子がという思いが残っています。私自身が心配し過ぎたことや私自身の過ごし方のせいなのではとも思ってしまったり…不安定な日々が続いています。夫も仕事しながらも支えてくれています。実母も義理父も気にかけてくれています。息子が生まれた事は私にとって本当に嬉しい出来事でした。でも、悲しみや辛さが抜けきれません。まだ人とも比べてしまいます。夫や父母、そして何より同じ世界で生きられなかった息子のためにも早く乗り越えたいです。先が見えない今の状態が辛いです。
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またいつでもハスノハに相談して下さい。
辛いですね。あなたの悲しみはどれほどのものかと想像します。とても私には大丈夫とか、前を向いて生きていきましょうなどと気休めを言う事は出来ません。あなたにとって、ご家族にとってとても重く大きな問題だと思います。
しかし、私は思うのは、生まれることはできなかったけれど、そういう事を超えてその赤ちゃんはあなたに大事なことを教えてくれているのではないかと思うのです。
人間が生きるという事は私たちの思いではどうにもならない事でしょう。思いに縛られているのが私たちです。嫉妬してしまうのだって、子供がいる家は幸せで、そうでない自分は不幸という「思い」によってです。安田理深という有名な僧侶がいました。彼の言葉ですが「人生に行き詰るのではなく、思いに行き詰るのだ」というものがあります。
その赤ちゃんが教えてくれたのは、何というか、何ができるとか出来ないとか、能力を超えた命の厳粛さみたいなものではないでしょうか。赤ちゃんを授かる事も奇跡、そして生まれる事も奇跡。周りの人たちは当たり前のように子供を授かっているように「見える」かもしれないけれども、一人前に育っていく事だって本当は奇跡です。そんな中で私たちは普段それを忘れて、善し悪し・損得ばっかり言い合って生きている訳でしょう。その赤ちゃんの命に手を合わせる時、損だとか得だとかそういう思いは吹き飛ぶはずです。その子は生まれなかったけれども、あなたの体の中で精一杯生きた、厳粛な命を生きたわけでしょう。我々はその子に手を合わせることしかできないのでは?その子が生まれなかったのは縁です。縁があれば我々だって明日死ぬかもわからないのです。それを忘れて損得ばっかり言って生きている。
子供は、そして命は授かりものだと思って欲しい。生まれたらいいけれども、本当に奇跡でしかない。思い通りにならないものです。思い通りにならない事を思い通りにしようとして私たちは苦しみます。赤ちゃんは、仏様になっています。そう仏教では頂いていきます。簡単に乗り越えなくていいと思うんです。多分その子の思い出を背負って生きていく。その子がいたという事実はあなたの人生の大切な一部です。縁があればお子さんを持てばいい。でも、人は生まれて生きて死ぬそれだけで十分だし、それだけで厳粛な命です。その事を今回教えてもらったと思うしかないのではないでしょうか。ゆっくり歩んでいきましょう
質問者からのお礼
釈義光 様
丁寧なお返事ありがとうございます。
お言葉を頂き、息子に手を合わせてみると、何だか心がスっと落ち着いてきました。息子を授かり、出産したという事実をしっかり持って生きていきます。人と比べて悲しむ時間はよく考えれば勿体ない時間ですね。その事にも改めて気付きました。
息子に感謝し、ご縁があればと願って、ゆっくり歩んでいきます。
ありがとうございました。