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人を羨む気持ちを無くしたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

1年以内に離婚を希望しています。
仲のいい(良さそうな)夫婦を見るのが辛いです。嫉妬や羨ましいという感情。

こんなこと思いたくないのにそんな感情ばかり溢れます。

この嫌な自分がなくなる時が来るでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どんな選択をしても、元気で歩まれて行くことを願っています

仲の良さそうな夫婦を見ると、嫉妬やうらやましいという想いがでてきてしまう。そして、そういう感情を自分でも嫌だと思っているという事なのですね。

こんな仏教の言葉があります「人生が行き詰るのではない 自分の思いが行き詰るのである(安田理深)」あなたを苦しめているのは、こんなはずじゃなかったという「思い」ではないでしょうか?今回の結婚では仲良くなれなかった、辛い事もあった。たまたまそうなった。しかしそれはただの事実です。どんな夫婦だって離婚しようと思って結婚するのではない。幸せになりたくて結婚します。それが思い通りにならない。

お釈迦さまは愛別離苦(愛する者と別れる)、怨憎会苦(恨み憎む者と出会う)は人生の真理で、誰一人避けられないと言います。人間は自分が一番大事です。人と比べたら自分だけが不幸せに見えます。でも本当はそうじゃないんですよね…嫉妬は無くなるのでしょうか?ということですが、お釈迦さまはこう言います。私たちは自分にこだわる。自分の幸せにこだわる。自分さえ、自分の子供さえ、自分の家族さえ幸せであればいいと思う。でも、その我々はいつか病み・老い・別れ・死んでいかなければいけない。だから、お釈迦さまは自分のこだわり「私が私が」というそのエゴが問題なんだと言います。だから、その「私が」という思いを手放しなさいと言います。そうすれば悟れますよと…。でも、事実は、私達は生きている間は自分自分という思いから離れることはできません。親鸞という僧は「私は死ぬまで、妬み羨む気持ちが無くならない」と嘆いています。しかし、そんな困った自分だからこそ仏の教えを聞き、教えられながら歩んで行きたいと言っています。私達は、思いを手放せない。だけど「その想いに苦しんでいる自分だった」ということに気づいていく事は出来る。嫉妬に狂ったり、自分から人を恨むような生き方から離れようとすることはできると思うのです。無くならないけどそれを正当化したり、開き直ったりしない。そのような自分の愚かさに気付かされた時、自分のエゴを知りながら、そこから立ち上がる・違う生き方をしようという選びも生まれます。あなたは今自分のエゴ・醜さに気づいて悩んでいる。その事がすごく大事だと思うのです。(アルテイシアさんの記事がオススメです。https://telling.asahi.com/article/11758227

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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質問者からのお礼

とても素敵な回答をいただきましてありがとうございました。
確かに人生ではなく思いが行き詰まっている…そうだと思います。
その行き詰まり行き場のないもやもやが、今回少し行き場を見つけたような、そんな気持ちになっています。
自分の愚かさ醜さに気付いているということは気付かないよりいいのだと
この自分に対する嫌な気持ちに投げかけます。
こんな有難いお言葉をいただいても、まだ変わらず仲の良い夫婦を見ては辛くなるかと思います。でもその度にこのいただいたお言葉を読み返し、いつか自分の思いの行き詰まりが無くなる日まで、私が、というこのエゴでいっぱいな思いを思い切り嫌な思いだと、違う生き方をしたいと変えたいと思っていきたいと思います。
おすすめ記事も読ませていただきました。
こちらも納得なことが沢山ありました。
初めて人に話した私の思いを受け止めて下さり本当にありがとうございました。

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