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一体あのとき自分はどうしたらよかったのか。

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

私は中学生のとき
身体が痛くてたまりませんでした。
軋む感じで鉛筆持つのがつらく
鉛みたいに重くて足が重くてたまりませんでした。

周りに相談しても、
先生に相談しても
変なことを言ってるなと笑われたり、
真剣に症状を相談しても、
狐につままれているんじゃないの?
休みたいからって変なこと言わないの。
と茶化すようなことばかり
いわれて大変傷つきました。
病院行っても異常なしです。

家族に、言っても
甘えるな!と怒られました。
身体が痛くて休みたいと言ったら、
勝手に休めば?お母さんは知りません。人生は自分で責任取れよ。
と怠けたいから休みたいんだろうという態度で、
私は休んだら親に見捨てられると思い、
必死に登校しました。

大人になった今、
あのときは精神も肉体もとても追い込まれていた毎日だったから
あんなに身体が痛かったんだと
気づいたのですが

それにしても、
そのときにいた自分の周りの大人が許せないのです。
あんなに苦しかったのに、
だれも助けてくれなかったと
思い出すたびに泣いてしまいます。

身体がしんどかったのが数日とかだったら忘れられるのですが、学生生活のときズーーッとしんどかったのです。
どうやって毎日乗り越えてたのか思い出すだけで涙が出ます。

べつに周りに迷惑かけたくて、
落ち着きがなかったわけじゃないのに、
いつも落ち着きがないと
大人にいつも怒られて、
あきれられ笑われました。

あのとき、ジッとしていると息ができなくて苦しかったんです。

全校集会とかすごく怖かったです。

ちゃんと自分は訴えてきたのに、
誰も助けてくれなかった。

今不登校で
悩んでいる人もいるかもしれないし、
こんなことを言ったら不謹慎で承知ですが、
もし、学校時代を、やり直せるなら絶対不登校を選びます。
学校なんてべつに行かなくてもよかったのに。
不登校なんてまったく悪くなかったのに。
学校が楽しいなんて思ったことありませんでした
中学の自分はあのときどう対応していたらよかったのか、
辛いときあのときのことを思い出して、

たまにねれなくて悩んでしまいます。

大人になったいま、
あのときあのとき、
先生も家族もみんな
みんなそれぞれ精一杯だったんだから
仕方ないじゃないかと
頭ではわかっているのですが。
心は虚しくてたまりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

よくがんばりました

 あー人生のあそこ、やり直したいなぁ...って事は、誰にでもあると思います。今、「黒歴史」なんて言葉があるようですね。封印したい過去...
 残念ながら、人生は一度きり。時間を巻き戻してやり直すことは不可能です。

 でもね、あなたの問いを拝読しまして、よくがんばったなぁ、あなたは強い人だったんだなぁ、って感心します。

 あなたはそのつらい経験を通して今は、きっと強く優しい人に成長していると思います。
 これから先、つらいことがあっても、きっと乗り越えられます。

 あなたの未来が輝かしいものになることをお祈りしています。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

過去世からの業による

あなたが辛い思いをしていたその時、ある場所であなたと同じように、あるいはあなた以上に辛い思いをした子供がいて、しかしまわりの大人に救われていたとする。
この違いは何なんだ?となる。
それは一人ひとりが背負ってきた過去世からの業(原因)による違いなんだと。
やってきた事、やって来なかった事、それらが原因となって、原因に見合った結果が生じてくる。
すべてのことには必ず原因がある。それが過去世にあるということだ。
ある子供がまわりに救われたというのは、過去世にその子自身がそれだけのことをした、それが原因となっているのである。あなたが子供時代に救われなかったというのは、まわりの誰のせいでもない、あなた自身の過去世の結果が現れたということ、誰かを責めるには及ばないのだ。
簡単にいえば自業自得なのである。
悪いことばかりが自業自得ではない。良いこともまた自業自得。
過去世の業を正面から反省すればこれからは良い行いを以って自業自得なさることであろう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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