一体あのとき自分はどうしたらよかったのか。
私は中学生のとき
身体が痛くてたまりませんでした。
軋む感じで鉛筆持つのがつらく
鉛みたいに重くて足が重くてたまりませんでした。
周りに相談しても、
先生に相談しても
変なことを言ってるなと笑われたり、
真剣に症状を相談しても、
狐につままれているんじゃないの?
休みたいからって変なこと言わないの。
と茶化すようなことばかり
いわれて大変傷つきました。
病院行っても異常なしです。
家族に、言っても
甘えるな!と怒られました。
身体が痛くて休みたいと言ったら、
勝手に休めば?お母さんは知りません。人生は自分で責任取れよ。
と怠けたいから休みたいんだろうという態度で、
私は休んだら親に見捨てられると思い、
必死に登校しました。
大人になった今、
あのときは精神も肉体もとても追い込まれていた毎日だったから
あんなに身体が痛かったんだと
気づいたのですが
それにしても、
そのときにいた自分の周りの大人が許せないのです。
あんなに苦しかったのに、
だれも助けてくれなかったと
思い出すたびに泣いてしまいます。
身体がしんどかったのが数日とかだったら忘れられるのですが、学生生活のときズーーッとしんどかったのです。
どうやって毎日乗り越えてたのか思い出すだけで涙が出ます。
べつに周りに迷惑かけたくて、
落ち着きがなかったわけじゃないのに、
いつも落ち着きがないと
大人にいつも怒られて、
あきれられ笑われました。
あのとき、ジッとしていると息ができなくて苦しかったんです。
全校集会とかすごく怖かったです。
ちゃんと自分は訴えてきたのに、
誰も助けてくれなかった。
今不登校で
悩んでいる人もいるかもしれないし、
こんなことを言ったら不謹慎で承知ですが、
もし、学校時代を、やり直せるなら絶対不登校を選びます。
学校なんてべつに行かなくてもよかったのに。
不登校なんてまったく悪くなかったのに。
学校が楽しいなんて思ったことありませんでした
中学の自分はあのときどう対応していたらよかったのか、
辛いときあのときのことを思い出して、
たまにねれなくて悩んでしまいます。
大人になったいま、
あのときあのとき、
先生も家族もみんな
みんなそれぞれ精一杯だったんだから
仕方ないじゃないかと
頭ではわかっているのですが。
心は虚しくてたまりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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よくがんばりました
あー人生のあそこ、やり直したいなぁ...って事は、誰にでもあると思います。今、「黒歴史」なんて言葉があるようですね。封印したい過去...
残念ながら、人生は一度きり。時間を巻き戻してやり直すことは不可能です。
でもね、あなたの問いを拝読しまして、よくがんばったなぁ、あなたは強い人だったんだなぁ、って感心します。
あなたはそのつらい経験を通して今は、きっと強く優しい人に成長していると思います。
これから先、つらいことがあっても、きっと乗り越えられます。
あなたの未来が輝かしいものになることをお祈りしています。
過去世からの業による
あなたが辛い思いをしていたその時、ある場所であなたと同じように、あるいはあなた以上に辛い思いをした子供がいて、しかしまわりの大人に救われていたとする。
この違いは何なんだ?となる。
それは一人ひとりが背負ってきた過去世からの業(原因)による違いなんだと。
やってきた事、やって来なかった事、それらが原因となって、原因に見合った結果が生じてくる。
すべてのことには必ず原因がある。それが過去世にあるということだ。
ある子供がまわりに救われたというのは、過去世にその子自身がそれだけのことをした、それが原因となっているのである。あなたが子供時代に救われなかったというのは、まわりの誰のせいでもない、あなた自身の過去世の結果が現れたということ、誰かを責めるには及ばないのだ。
簡単にいえば自業自得なのである。
悪いことばかりが自業自得ではない。良いこともまた自業自得。
過去世の業を正面から反省すればこれからは良い行いを以って自業自得なさることであろう。