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言ってはいけない言葉を発するのをやめたい

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有り難し有り難し 11

はじめまして。
どうぞよろしくお願い致します。

私は相手が傷つくような酷い言葉を平気で言ってしまいます。

いつも頭の中に沢山の言葉がぐるぐる出てきて整理が出来ません。

相手の話を遮ってまで自分の話をしてしまいます。

私は口下手で人見知りな性格です。
始めのうちは緊張してあまり話が出来ません。

しかし、仲良くなると沢山話しないといけないと思い、緊張が解けたこともあって、頭の中に浮かんだことをそのまま口にしてしまい、言ってはいけない言葉を発してしまいます。

その言葉のせいでたくさんの人を傷つけて嫌われて避けられてきました。

一年前にずっと仲良かった人に避けられていることがわかりました。
その日から苦しくて、こんな私は死んだ方がいいと思ったり、相手を憎む気持ちが強くなり、そんな自分がますます嫌になって自己嫌悪になっています。

10年前に子どもの習い事での人間関係で苦しく辛い事がたくさんありました。
その時にうつ病になってしまい一人になると泣いてばかりいました。

昨年末に紹介で、仕事を始めました。
そこは皆さん優しくて楽しい職場です。
でも、こんな私がここにいていいのか悩んでしまい、笑顔がなくなってきている気がします。
紹介してくれた人の事もあり頑張りたいのに。

最近、四年ぐらい仲良くしている人に『年をとっても仲良くしたい』とLINEで言われました。
嬉しいというよりも、またこの人を傷つけて嫌われていくんだろうなと思うと悲しくなって涙が止まりませんでした。
また友達がいなくなってしまうと。

若い頃は酷いものでした。
たくさんの人を傷つけてきました。

最近はまたあの時(うつ病)の時のような症状になっています。
一年前のことをずっと考えてばかりいます。
仕事中にも思い出すようになってしまい、醜い顔をしていると思います。

これから、どうすれば相手を傷つける不用意な言葉を発するのを我慢出来るようになるのでしょうか。

筋違いな相手を恨んで憎む気持ちを失くすことが出来るのでしょうか。

こんな年齢になっても人間関係が上手くいかないなんて情けない気持ちで一杯ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

2021年5月23日 9:52

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

善き考え、善き言葉、善き行いのもとで

拝読させて頂きました。
あなたが言ってはいけないことを言ってしまい大変お悩みになっておられることを読ませて頂きました。あなたのお気持ちとてもよくわかります。そうですね、仲良くなって打ち解けてくるとつい本音が出てしまうことはありますね、親しくなったからいろんなことを話したくなってしまうのも致し方ないとは思います。
とはいえ親しき中にも礼儀あり、です。
人は傷つきやすいものです、それはあなたもそうでしょうし周りの人達もそうです。同じ人間ですから嫌なことを言われたり、気にしていることを言われたり、悪いことを言われれば本当に辛い思いをします。そして言った人のことを怒ったり憎んだり恨んだりするものです。誰でもそうです。
ですから親しくなっっていろいろ話したい、話さないとと思っても一息ついてみて思いついたことを一気に話すのではなくてあなたの頭の中で反復してみましょう。あなたが言おうと思ったことを自分が言われたらどう思うか、その人があなたに言われたらその人はどう感じるだろうかをもう一度ゆっくりと考えてみるくせをつけてみましょう。
周りの人のことを思いやる気持ちがあればあなたは考えずに言葉を発することは少なくなっていくでしょう。その人のことをあなたが大切だと思うならば、これからもずっとお付き合いしていきたいと本当におもっているのならば、言いたいことは一度思い返してみてからその人が傷つかないか、その人にも自分にもマイナスになる言葉ではないかを考えてみましょう。恐らく軽はずみに行ってしまう言葉は大体悪い言葉でしょう、できればその悪い言葉は悪い考えに基づいて出てくる言葉です。ですからできればあなたの思考回路も悪いことを考えることも止めていきましょう、できるだけ善いことを・前向きなことを・人を褒めることを・人の為になることを考えるよう心掛けていきましょうね。
あなたが善き考えに基づいて善き言葉を使い、人に対しても思いやりや親切な姿勢でお付き合いなさり、人とも善き行いをなさりながら、皆様と一緒に仲良く幸せに生きていかれます様にと心から祈っています。

有難うございます。ぜひ「七仏通誡偈」を知って下さい。
諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
意味は「悪い事せずに善い事を進んでしましょう、心を清める事、それが仏の教えです。

2021年5月23日 14:38
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azumaさま

早速お返事を頂き本当にありがとうございます。
何度も何度も読ませて頂きました。
私のために言葉を下さり、有り難くて 嬉しくて涙が止まりませんでした。

親しき中にも礼儀あり、こんな大切なことを忘れて過ごしていました。
親しくなると、相手を大切に思う気持ちを失くしていた気がします。
きっと許されるだろうと軽く考えていたように思います。

親しい人も親しくない人もどちらも同じで、思いやる心を忘れてはいけなかったのに。

たくさんの善い言葉を教えて頂き、心から感謝の気持ちしかありません。

これから、2度と他人への思いやる心を忘れず、言葉を発する時はよく考えてから、そして相手の気持ちになってよく考えてから話すように致します。
おっしゃるように、悪い思考回路はその通りです。
今後は『善いことを・前向きなことを・人を褒めることを・人の為になること』を考えるように努力致します。
そして、思いやりや親切な姿勢で付き合い、人とも善き行いを心がけるように生きていきたいと思います。

これから、毎日頂いた言葉を読んでから1日を始めて忘れないように過ごしていきます。

本当にありがとうございました。

「コミュニケーションの悩み」問答一覧

伝えるのが真心か、伝えないのが賢さか

怪我をしてしまい、治療院へ約2ヶ月ほど前からお世話になりました。 その院は門前の仲見世通りにあり、初夏に新しくできたばかりでした。 怪我した当初は、適切な処置で仕事を休むことなく大変良かったのですが… 一向に治療が終わる気配もなく、次、また次の予約で、施術や接遇マナーについても少々気になる点はありました。 例えば、相手に接している間に業務連絡や他の患者さんの所へ行くなど、その場を離れる時は必ず手を離す前にひと声かける、一連の動作の中で、なでる、トントンとたたくなど、患者の心身の緊張を緩めるための手の置き方があるのですが、元々痛めた部分を拳で普通に叩いて響いたり、単純に重くのしかかるだけの雑に感じられる置き方、などの違和感です。 治療学を学びに学会へ参加したり、手技を生業としていた自分の中で経験者として備わった常識との隔たりに、日に日に不信が膨らみました。 ある日、施術中に「今度、ハロウィンの仮装をするんです」と他の患者さんへ話す声が耳に入りました。 怪我直後は応急処置に助けられた反面、ずっと長々通ううちに質が薄れていき、施術や接遇マナーに疑問が生じていた矢先でしたので ハロウィンの仮装をした治療家に、お預けするのは気が進まず、理由は伏せて「卒業」を告げてきました。 大変残念そうな感じでしたが、寺院や大きな神社のある門前町の仲見世に院を構え「地域の人々に貢献する」という建前と、施術の質が伴わないこと、治療行為と仮装(仕事と遊びをごちゃまぜにする)が受け入れ難かったこと 真心が手から伝わらなかったこと それらを伝えずに去ったこと、それで良かったのか、時々心に浮かびます。 年代は20代前半の方ばかりで、患者さんを集める能力や、予約に繋げるノウハウがあることはわかります。 ただ、肝心の施術の質が…(あくまで私の感覚ですが) 繁忙してくると何か大切なものを忘れてしまう…、応答もマニュアルがあることが察せられますし、一生懸命なのはわかりますが 驕れる者は久しからずに思えてなりません。 (クリスマスケーキを売るために、商売人がサンタの格好をするのはわかるのです) プロフィールにも書いた通り、志もあるので、今回のことは学びに繋げたいと思います。 下手にクレーマーになるよりは、それで賢明な選択だった、大人になった、そうけじめをつけたいです。

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師弟関係でいつも同じような壁にぶち当たる

お世話になっております。 自分自身と習い事の先生との関係が昔から同じパターンを繰り返しており、少し苦しくなってきたので相談させていただきます。 私は4月から大学で教えるようになり、自分の未熟さ、ダメさを思い知らされると同時に、先生といえども完璧な人などいないし、皆、弱さを隠して生きてるんだな、だから誰に対しても完璧を求めるのはやめよう、と思えるようになりました。 私自身は、これまでピアノの個人レッスンで、芸術的には尊敬できるけどすごく癖の強い、モラハラとも言える先生に師事したことがあり、そのモラハラが嫌になってやめてしまったことがあります。ピアノそのものの技術的なことをほとんど教えてもらえず、人生教訓的な話や、愚痴や、私に対する否定発言が増え、辛くなってしまったからです。 そして今は、ピアノではないのですが、あるスクールに生徒として通ってます。その先生が、普段はすごく優しくてピュアな心の人で、レッスンも楽しいのですが、時々、私の性格や生き方をバッサリと否定する発言をしてくるようになりました。といっても、根拠なく言ってるのではなく、私のレッスンでの取り組みや発言から、私の弱さを見抜いているようで、全く的外れではないのですが、お説教のような、やや脅しのような発言が増えています。モラハラとまではいきませんが、なんだか以前のピアノの先生との体験を思い出し、息苦しさや威圧感を感じます。この先生は、教えるべきことはちゃんと教えてくれているので、前のモラハラ先生とは違います。でも似ているところとして、どちらの先生も、実は自分に自信がなく小心者なところ、そして、私が何気なく言ったことや質問に過剰に反応してムッとするところ、私が反論すると気を悪くしてその場からいなくなること、など。つまり、ちっちゃい奴らなんです。どちらも男性なのですが。 私はなぜいつも、ちっちゃい先生を引き当ててしまうのでしょうか。私は確かに質問が多いですが、先生というのは、質問されるのが嫌なのでしょうか。それでも、今の先生にはまだ教えてもらいたいことがたくさんあるので、今去ることは考えられません。完璧な人間などいないとわかってますが、こういう先生と、教わるべきことを教わりながら、どう関わっていけばいいか、ぜひアドバイスをお願いします。

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