過去に人を深く傷つけてしまった罪
来年、定年退職の年齢を迎える会社員です。コロナにより在宅で仕事を行っており、時間的な余裕が増えたこともあり、物思いにふける時間が増えました。
そんな時にふいに過去に人を深く傷つけた罪が思い出され、今まで心に封印してきた罪悪感と懺悔の気持ちが沸き上がり、思い出しては苦しんでいます。
それは、30年以上前に満員の通勤電車で痴漢をしたことです。相手の方の身体を触り、本人も痴漢行為をされていることに明らかに気付いていましたが、見知らぬ男が怖かったのか、身体を硬直させ、何も抵抗できない状態なのがわかりました。
車内が身動きできないほど混んでいたのをいいことに、痴漢行為を降車駅まで続けてしまいました。降りる際にその女性の顔をちらっと見ましたが、茫然自失というか、遠いところを見るような目でうっすらと涙をためていました。
もし私がその女性であったなら、自分がけがれた汚ない存在になってしまったと大きなショックを受けたと思います。
あの涙を浮かべた顔を思い出すと、その後の人生は無事に送られているのか、自分は汚れた存在だと自殺などをしていないかととても心配で、自分のした行為の罪の深さに今更ながら気づいたのです。
時々ふいに思い出しては深い後悔と罪悪感に苛まれています。自分の犯した行為でその後のご本人の人生を狂わせてしまったかも知れず、ご本人に謝罪する機会を持つことができません。
過去の人を深く傷つけてしまった痴漢という卑劣な犯罪行為、被害者の方への謝罪したい気持ちなど、深い罪悪感と苦しみに今後どのように自分の中で対処していけばよいのか、どうかご指導頂きますよう、宜しくお願いします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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加害行為を本質まで追究する必要性
こんにちは。
「過去に人を深く傷つけてしまった」「深い罪悪感と苦しみに今後どのように自分の中で対処していけばよいのか」というお尋ねです。
「被害者の方への謝罪したい気持ち」があっても、「30年以上前」のことであり事実上不可能でしょう。また、「被害者」本人が、加害者であるあなたと面と向かって「謝罪」されたいかどうかも分かりません。「謝罪」が現実的でないことはお分かりかと思います。
あなたに述べたいことは、以下の二点です。
一つは、「痴漢」がどういう性質の行為なのか、その本質まで追究する必要性です。「あの涙を浮かべた顔」をあなたが見た「30年以上前」、あなたはその時点で心が深刻に傷まなかったのですか。「罪悪感」を「30年」越しに思い出したのは何故でしょうか。仕事が忙しかったから、家庭のことがあったからでは説明がつかないと思います。あなたは、その時点で自分の欲望のままに加害行為に及んで、性的な充足を覚えていたほうが大きかったのではないですか。
人間は、誰しも出来得る限り自分の思い通りにしようともがく存在です。
しかし、それを傍若無人に充足させる人と、できるだけ慎んで相手の気持ちや立場に立ったりすることには雲泥の差があります。あなたは、「痴漢」という特定の行為だけでなく、自分の思い通りにしようとする心そのものを問題にすべきではないでしょうか。
あなたが本当に「罪悪感」と向き合い、徹底的に追求する意志があるのだったら、ご自身の縁のある宗派の教えを聞いていってください。煩悩の問題そのものですから。それはここで、簡単に述べられるような奥行きの浅いものではありません。
もう一点は、犯罪被害者支援をすることです。
あなたが加害した相手だけではなく、その相手を含めてできること(活動への賛助、寄付)をして身を削るべきです。
全国被害者支援ネットワーク
https://www.nnvs.org/
以上です。
追記
この度は、ご丁寧におきもちをお運び頂き、誠にありがとうございます。
ご参考になれば幸いです。
今後また引き続きご相談ありましたらお寄せください。
ごめんください。