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外国人に笑われました

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有り難し有り難し 17

1年程前にこちらに相談させていただき、救っていただきました、30歳主婦です。夫の仕事の都合で海外(ドイツ)駐在しております。

先日、夕方くらいでした。1人道を歩いていると斜め前くらいに20歳代くらいとみられる3人組の男性が話していました。

私とは距離が2~3m程あり、私も決して道をふさぐことなくふつうに歩いていたのですが、突然日本語で「こんにちは」とその男性の内1人が言いました。

アジア系の方でもなく、面識もなく、本当に突然言われたので咄嗟に反応できなかったのですが、そうこうしているうちにもう一度「こんにちは」と言われました。

私もにこやかに「こんにちは」と挨拶を返して通りすぎようとしましたが、3秒後に私の声を真似するように高い声で「こんにちは」と繰り返し、吹き出すようにゲラゲラと笑われました。

私は嫌な気持ちと怖いという思いで通りすぎましたが‥。
コロナの事もあり、外出している全員マスク着用しており、私もいたって現地の人と変わらないパンツとシャツという服装をし歩いていたのに、何故笑われたのか‥非常にもやもやし、傷つきました。

この事を夫に話すと、よくある事だ、気にしているとやっていけないと言われました。
夫と2人で歩いている時は、このようにからかわれるような場面にはあった事がありません。

コロナの一件もあり、アジア人差別が加速している中、海外の方に見下されていて悪意を抱かれているのではないか、今では買い物に1人で出るのも億劫になってしまいました。

この世で生を受けた全てが尊い存在だと思います。(どうしても苦手なものもありますが)
夫が任期を終え日本に帰国できるまで、どのような心づもりでいれば心の安寧が保たれるでしょうか?
どうかお言葉をいただけないでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

五戒は自分を守るものなのです。運動と捉える視点も大切。

これは、傷つきますね…。同じ人間なのに、同じ場所に立って見られないというのは根本的に私たちを傷つけますね。相談者様の仰る通り、この世で命あるものは等しく価値をもっている。それを本来比較したりすることに意味はありません。仏教はそう言います。

しかし、本当にそう見れるのは、仏様なのでしょう…。人間の根本的悲しさ、愚かさは差別をするという所にあるのだと思います。差別する人間を仏様は悲しんでいるのです。
差別は無くしていかなくてはなりません、これまで多くの人が悲しみ、傷つき沢山の運動をしてきて少しずつ差別は解消されてきましたが、まだまだ完全には無くなりません。だから、私はまず、この問題は社会問題という側面を忘れてはならないと思うし、次の世代には少しでも少なくなっていくよう、そういう志を持った人が声を上げていかなければならない問題だと思います。だから、私は出来る事の一つとして、自分がそういうことで悲しんだら、他の人にそういう思いをさせないよう立ち上がるということだと思います。

二つ目に、心の持ちようとして、あなたは、差別されて傷ついた、だからこそ、あなたは他の国の人や、能力の違う人を馬鹿にしない者に成ることができると思うんです。他の人は簡単には変えることは出来ません。しかし、あなたが差別をしない者に成ることはできる。馬鹿にしない者に成ることはできるのです。

仏教の戒律に五戒というものがあります。五戒とは、これを守る事はいい習慣だから仏教徒は守って欲しいという戒めです。その中に、不邪淫というものがあります。この意味は様々に解釈されますが、私の先生はこれは「人をちゃんと尊敬するということだ」と教えてくれました。人を尊敬できないということ自体が、私達自身を傷つけているのです。だから、人を尊敬できない人は自らを苦しめているのです。そう仏教では捉えていきます。私たちの本当の悲しみは人を尊敬できない事ですよ。なめて、貶めること、侮る事は自分を傷つけることになるのです。だから、仏教では全く違う視点を教えられます。あべこべに、あなたを貶める人が自己を貶めているのです。そういう、傷を抱えた、仏から悲しまれるべき人です。

まとめますと、①次の世代に差別を引き継がない、差別解消運動の歴史を学ぶ②あなたは人を馬鹿にしない。③尊敬できない事のもつ悲しみをあなたは知る。
こう私は伝えたいです。

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有り難し
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浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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質問者からのお礼

釈義光様
たくさんのお言葉ありがとうございます。

傷つきやり場のない気持ちを抱えておりました。こういうものか…と。けれど、そのような差別を受けたからこそ、嘆いたり悲しんだり、諦めの気持ちを抱いたりするままでは終わってはいけないのですね。

釈義光様がおっしゃられるように、出身や能力差で人を侮り見下す行為が、どれほど人と自分自身を侮り傷つける行為かということが分かりました。

今回の経験をするまで、私は差別に対して特に意識することなく生きてきました。
立ち止まってばかりではいられませんね。
私はこの与えられた環境を引き受け、まず私自身が学び、成長する努力が必要なのだと強く思います。

本当にあたたかくありがたいお言葉をありがとうございました。

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