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人の注意で無性に傷ついてしまう回答受付中

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

数回目の利用になります。いつもありがとうございます。
今回の悩みは、人の「軽い注意」ですぐに傷ついてしまうということです。
昔から、「あれはこうしてね」「この時はこれをしないでね」などといった軽い注意ですら、その日の夜眠れなくなったり、また学校でも何度もそれを思い出し、勉強に手が付かないといった苦しい思いをしてきました。
その時はあー苦しいな、と思うままで過ごしていましたが、成長するにつれ、昔よりも注意を受ける機会が多くなりました。
精神疾患ながら社会復帰の意味でバイトを始めたこともあり、「あれはこうして」「ここはこうじゃダメ」など日常茶飯事の日々です。
そのうち慣れていくだろうとは思っていましたが、慣れるどころか、そのようなシチュエーションがもっと苦手になり、萎縮してしまい、それに対してまた注意を受ける。そんな悪循環です。
理不尽でも頭ごなしに怒鳴ってくるわけでもない「少しの注意」で傷ついてしまうのが弱すぎるのは重々分かっています。
真っ当な意見がもちろん多いし、私が悪かったことも多いです。けれど怒鳴られるより、優しく注意される方が、何故が心はザラザラしてくるのです。
昔から、誰に相談してもお前は弱い、プライドが高すぎると言われ続け、それらは常に自覚して生きてきました。
でもそんなこと言っていても仕方がないのです。結局大人になれば仕事はしなければいけないし、自分でお金を稼がなくてはいけない。
それなのに、こんな事ばかりしていては埒があきません。
どうか、こんな心が軽くなるような教訓を教えてください。よろしくお願い致します。

2025年6月5日 14:27

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談いただき、ありがとうございます。
何度も悩みを打ち明けてくださっていること、
そして今回も「心を軽くしたい」と願っていることに、私は深く頭が下がる思いです。

あなたの苦しみは、とても繊細で、誰かに“理解されたつもり”にされるだけで、かえって苦しくなってしまうような種類のものだと思います。

まず、最初にお伝えしたいのはやさしく注意されるほうが、心がザラザラする、これは「弱さ」ではなく、心の奥が“やわらかい”ということです。

怒鳴られると心が防御反応で閉じるけれど、やさしく注意されると、自分の弱さや未熟さに触れてしまう。そのぶん、深く染みこんでしまう。だから余計に、心がザラつくんですよね。

それはむしろ、他人の言葉を真正面から受け止めてしまうほど、誠実な心をお持ちだからです。

バイトをしている中で、何気ない注意にすら傷ついてしまい、またそれが萎縮を生んで、さらに注意されてしまう。

…この悪循環、ほんとうに苦しいと思います。

でもこれは、あなたが

「ちゃんとやろう」と思っている証であり、「できなかった自分」を責めすぎてしまうほど真面目で「人の期待に応えたい」と思う気持ちがあるからこそ起こること
だと思います。

これは、「気にしすぎ」なんかじゃない。むしろ、真面目に生きている人ほど直面しやすい苦しみです。仏教には、「人間はそもそも未完成で、不完全な存在である」という根本の見方があります。

誰かと比べて「できる・できない」を計るのではなく、“できなくても存在が否定されない”という視点が、仏教にはあります。

最後に、「人は人、自分は自分です。」

人からの何気ない言葉で、心がざわついてしまうことがあります。
たった一言なのに、何度も思い出してしまったり、「また迷惑をかけたかも」と自分を責めてしまったり、あなたはきっと、そんなふうに人との関わりをとても大切にしてこられたのでしょう。

でも、どうか思い出してください。どれだけ丁寧に接しても、すれ違いや注意はどうしても起こるものです。誰かの言葉が気になっても、そのことで自分のすべてを否定する必要はありません。

「こんな自分じゃだめだ」と思うより、
「今日もなんとかやりきった」と、自分に声をかけてあげてください。

感じやすい心も、不器用さも、すべてを抱え生きてきたあなたを、私は心から尊敬します。

2025年6月5日 19:14
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

欲・怒り・怠け・プライドに気をつける

欲・怒り・怠け・プライドの煩悩は悩み苦しみストレスの原因になります。
自分の価値を気にしたり、自分を否定されたくないのはプライドの煩悩です。
また、自分のやり方を変えたくない等は怠けの煩悩かもしれません。
傷つくとは、怒りの煩悩(悲しみも怒りの仲間)が起動したのです。
欲の煩悩は、仕事とかでも目の前の作業がちょっと楽しくなって一つの作業や同じやり方に集中しすぎて周りが見えなくなる等も欲の煩悩です。
欲・怒り・怠けを他人から指摘されるとプライドが脅かされて傷つく(怒りの煩悩が起動する)ので、欲・怒り・怠け・プライドの煩悩を制御できれば傷つく回数が減ると思います。
また、過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念や思考の堂々巡りも、傷ついている心(怒り)を無限リピート再生することなので、妄想雑念は傷つく時間を長引かせる場合があります。
どうことで、まずはあなた自身の欲・怒り・怠け・プライドの煩悩に素早く気付きましょう。
そして、過去に関する妄想雑念は長引かせずストップすること。
また、他人にも欲・怒り・怠け・プライドがあるのでお互い様だと、注意してくる他人の煩悩を大目に見てあげる、観音様のような慈悲の眼差しも大切にしましょう。
経典の中で、お釈迦様様に近付いてきた悪魔がお釈迦様から正体を見破られた途端に弱腰になって退散する場面があります。
悪魔を煩悩に置き換えて考えるなら、心が乱れたとき(悪魔が現れたとき)に、その正体が欲・怒り・怠け・プライド等だと見破れば、悪魔は力が弱まるのです。

2025年6月6日 6:40
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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