やはり私は疫病神なのか
お世話になります。
つくづく自分がイヤになりました。
やはり私は疫病神ではないかと思うのです。
私に関わる人を不幸にしてしまう、それは家族であったり知人であったり。
暗い自分の顔ですら見るのもイヤです。
私以外のみんなは普通で、私は違う。
みんなを不幸にしてしまう疫病神なんだと思うしかありません。
息子に、何でも保身に回るからダメなんだよ、逃げてばかりだからよくないんだよと言われました。
怖いんです。昔から人を信じるのが。信じても裏切られてしまう位なら信じない方がいいと。その分、お金や物に執着してしまいます。家族にどれだけ助けられてきたかを考えればただただ感謝しかないのはわかります。確かに感謝しています。
でも、人を信じないで自分の力に頼り、結局周りを失望させてしまい、自分も苦しくなる。どれだけ足掻いてみても、不幸の連鎖が続いてしまう。
だから私は疫病神ではないかと思うしかないのです。
本当は助けて欲しい、でもこれまでの事があるからもう声を出しても助けてはくれないと思ってしまいます。もう家族には迷惑をかけたくはない…
こんな愚かな私をお叱り下さい。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
慎重でもいい。自分を守りながら、大変な時は寄りかかっていこう
保身で逃げてばかりと言われてしまったのは、グサッときますよね。
人を信じきるのは、やっぱり怖さもありますよね。もし離れていってしまったら、私は何も出来ない、全てを失う… 不安や怖さが増すのなら、自分で頑張るほうがマシだと考えてしまって、背負い込んでしまいますよね。
どこまで打ち明け、どこまで心許すのか、頼れるのか、甘えられるのか。家族でも、難しい部分だってあるでしょうが、信じきれなくても、ありがとうの感謝を言葉にしていけばいいと思いますよ。
疫病神なんかじゃないわ。大切な存在だから、周りがもっと頼ってと、息子さんからも愛ある言葉のように思います。
慎重でもいいじゃない。自分を守りながら、大変な時は、ちょっとずつ寄りかかっていきましょう。
みんなで一緒に生きているのですもの。
安心なさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたは自分のことを疫病神ではないかと思っているのですね、自分以外は普通で自分はダメなんだと思ってしまうのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
末尾のあなたのお言葉の中にあなたの生き方の答えがある様に感じます。
「人を信じないで自分の力に頼り、結局周りを失望させてしまい、自分も苦しくなる。どれだけ足掻いてみても、不幸の連鎖が続いてしまう。
だから私は疫病神ではないかと思うしかないのです。
本当は助けて欲しい、でもこれまでの事があるからもう声を出しても助けてはくれないと思ってしまいます。もう家族には迷惑をかけたくはない…」
もう一度ご自分の文章をじっくりとお読みなさって見てくださいね。
今もあなたのことを沢山の方々が支えていて下さいます、あなたと一緒に生きていこうと心から思っているのです。いつも沢山の方々があなたを助けたいと願っているのです。
辛い時や大変な時には「助けてほしい、支えてほしい、力を貸してほしい」そうあなたが言ってもいいのですし、周りの方々を信じてみましょう。そしていろんなことを相談して手伝ってもらいましょう。あなただけではないのです、あなたは疫病神ではないのです。
いかがでしょうか?
あなたは沢山の方々と一緒に生きているのですからね。どうか安心して人を信じて自分を信じて下さいね。
あなたがこれからの未来を沢山の方々に支えられ助けられ皆さんと一緒に助け合いながら健やかに生きていくことができます様に心から祈っています。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌m(__)m
人格否定は自分へのパワハラ
職場のパワハラに当てはめて考えてみると、上司が部下の失敗等の行為に対して怒るのはハラスメントではありませんが、「役立たず」「無能」「疫病神」などと人格全体をざっくり否定する発言をするとパワハラになるでしょう。
あなたが自分に対して「疫病神」などと人格否定のラベルを貼るのは、自分に対するハラスメントをしているような状態ではないでしょうか?
「疫病神」という言葉は概念上の幻であって実体ではありません。
事実としてあるのは、一つ一つの具体的な失敗です。
例えば、お金に困った人が家族に相談せずに消費者金融で借金し、高い利息を払うことになったとする。
家族に相談していれば無利息で家族から借りられたかも知れないし、タンスに眠っている貴金属を売って調達できる金額かもしれなかったが、安易に借金(リボ払い等)をして損をして、それが家族にばれて怒られたとする。
この場合、べつにその人は「疫病神」ではなく、家族との連携不足という具体的な失敗が一つあっただけです。
つまり、実在するのは具体的な一つ一つの失敗であって、「疫病神」はどこにもいないのです。
大ざっぱな言葉で人格否定をするのではなく、原因があって結果があり原因を変えれば結果が変わるという、仏様の智慧を意識してみましょう。
質問者からのお礼
お返事遅くなりました。
気持ちがとても軽くなりました!
まだまだこれからも苦難は来るのて、皆さまのアドバイスを胸に頑張ります!