母の死に罪悪感と後悔で一杯です。
数日前に実家の母が亡くなりました。末期癌で、病気の発覚から僅か4ヶ月でした。
1ヶ月前に電話で話した時も体調はあまり良くなさそうな様子ながらも「死なない」とはっきり言っていました。
ところが2週間程前から体調が急激に悪化して電話もメールも出来なくなってしまいました。
母が亡くなった今、罪悪感に押し潰されそうです。というのも、喧嘩別れのような状況で死ぬまで優しい言葉をかけられませんでした。
私は幼少期から母との溝を感じて生きてきて、自分の気持ちを理解してもらえない。苦しい時に寄り添ってもらえないと感じていました。
成長するにつれて価値観や考え方すれ違いは増していき、次第に私は母に対して反抗するようになりました。
自立してからも反抗的な気持ちがおさまらず、溝がありました。
私が結婚し、孫をとても可愛がってくれましたが相変わらず溝は深いままでした。
一年程前子供を連れて実家に行った時に、自分の中でどうしても許せないことを言われ大喧嘩をして連絡を断ちました。死に目にも会わない覚悟でした。
ところがいざ母の病気が発覚した時に気持ちが揺らぎ、連絡を再開しました。
しかし、今までのことがあり母にどういう言葉をかけていいかわからずぎこちないやりとりでした。
コロナ禍で直接会うことは叶わず、病気に対して実感がわかなかったのもあります。そして、精神的に強い人なので母は死なないのではないかと根拠なく心のどこかで思っていました。自分より強い母が死ぬことを認めたくなかったのかもしれません。
喧嘩別れして以来、母に会えたのは葬儀の場でした。棺桶に横たわる母は別人のように痩せこけていました。
その時、言い様のない感情が襲ってきてその場では唖然とするばかりでしたが、自宅に帰ってから涙が止まりません。
もっとかけるべき言葉があったのではないか。優しくできたのではないか。そして、今までの人生で母にしてきた己の身勝手で酷い仕打ちを思いだし後悔しかありません。謝りたい。
闘病中に元気付けられればと子供の写真や動画を送った時の嬉しそうなお礼のメールが、辛くて読み返せません。心の中で和解しきれていないと感じていた私は、そっけない返事をしました。それが最後のやりとりでした。
子供のためにも切り替えなければならないと頭では理解しています。自分が悪いことは承知ですが、どうしたら前を向けるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それはお辛い時期
誠にご愁傷さまです。
辛い時期だと思います。後悔もあるでしょう。
しかし、お母様の体は亡くなりました。しかし、命の働きは繋がっています。あなたの体にもお母様の命がある。
もう少し落ち着いて、49日が過ぎる頃には、少しお母様を身近に感じられるようになるかも知れません。お墓に行って話してもいい。気がついた時に手を合わせ話しかけでもいい。
溜まった想いを全て声に出して伝えてください。
きっと分かってくれますよ。赦されきった命の働き。お子さんにも繋がっています。
子育てもお母さんの命を込めてできると思いますよ。