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人生にステージはあるのか?

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ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。

先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います)
「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。
理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。

私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。

病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。
そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。
それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。
ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。
確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか?

そして、死に不遇はあるのでしょうか?
人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか?

私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

2021年6月9日 7:17

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それぞれの生き様の中で

拝読させて頂きました。あなたがその様な思いに到ったのは決しておかしいことではないと思います。あなたが病を患いながらもあなた自身の生命や人生や家族等の関係性を見つめてきた中でそう思うようになったことはとても大切なことだと私は思います。
人は当たり前だと思っていることについては深く考えませんし、注意も向けません。今与えられている環境や状況が当たり前だと思っているなら自分の境遇が当然だと思うの感謝もしませんし、自分の足元さえ気にしもしないのです。

ですがいざその足元が崩れそうになって、或いは今持っているものを手放さざるを得ない状況になって初めて今あることの尊さやかけがえのないものであると知ることが出来るのかもしれません。正直私もわからないです。

とはいえあなたはご自分のことにしっかりとお気づきになられたのかと思います。

人が人の人生をあれこれととやかく判断することはできませんし、その人生や死が不遇であるかどうかは本人でなければわからない境地です。まして不遇や不幸を他人の自分が判断するなどおこがましいことですし、おごりですからね。

あなたがお感じになることお考えになっていることはあなたが今置かれている状況の中で初めて心の中から発露し育っていく感覚や感性かもしれません。それはあなたのものですからね。その感性をもしかしたら人生の成長過程のステージとも言うことはできるかもしれません。

人が生まれ、生きて、病になり、老いていき、そして死にゆく時その時々に於いて我が身のほどを見つめ直し、それぞれの人生を見つめ、与えられた生命や身体や命を思慮しながら体験して成長したいくのかもしれません。

ですからあなたが感じることや考えることを他の方も感じたりそういう境地に至ることは実はよくあることかと思います。そして共感できると思いますよ。

宜しけれればこの場所でもあなたの思いをあなたの思いのままにじっくりとお話なさって下さいね。

あなたをいつもお待ちしていますね。

2021年6月9日 17:23
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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死について考えてしまいます。

こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 15
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ある考えに取り憑かれています

少し奇妙な話だと思われるかもしれませんが、お時間いただければ幸いです。 この頃2,3年ほど、頻繁に「死ななくてはならない」という考えが定期的にやってきます。しかし、死にたいわけではないのです。 死ぬということは私にとってはとても恐ろしいですし、いずれ死んでしまうのにわざわざ急ぎたくはないです。 「死ななくてはならない」という考えが出てくる流れは大概の場合 これからも周りの人に迷惑をかけ続けるのなら今のうちに死んだほうがいい、というものですが、これに反論するのは簡単です。 ①死ぬほうが迷惑 ②故意でない迷惑はかけ合って生きていくものだ。などです。 しかしこの「死ななくてはならない」(以下、この考えと表記します) という声はとてもしぶとく、どれだけ論破しようとしても、全て「自分を甘やかして死にたくないだけの言い訳」と思わせてきます。 例えば、「未来の自分が他人にかける迷惑を憂うなんて馬鹿馬鹿しい。そうならないようにいま目標に向かって進んでいるんだ」 と考えると、 「お前みたいなやつが将来どんな貢献ができるんだ。そもそもこんなことをうじうじ考えている時点で頭がおかしいのに、偉そうにほざくな」と、返してしまうのです。 暇さえあればこのような下らない問答を脳内で繰り返してしまうのです。 この考えは大抵非論理的ですが、しぶとく、なにより自己弁護している間抜けさが厄介です。 これだけは確かなことだと信じたいのですが、私は死にたくないです。 自己嫌悪が激しいわけでもなく、自分のこともそこそこ気に入っています。(と自分では思っています。)客観的に自分を見るのは難しいです。 ただ心配なのは、この考えに取り憑かれている時、死というものが軽く感じられてしまうのです。このことはとても失礼で軽蔑するべきだと思います。 おそらく私が恵まれた環境でのうのうと生きているから頭でっかちに考えるのですが、どうか決定的な「この考え」に対しての反論をいただければ幸いです。 なぜなら私はやるべきことがあり、頻繁に思考に時間を割くのが無駄だからです。 長文、拙文失礼いたしました。

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