不信感
私は人が怖いです
他の質問にも書いたとおり、親親族からも愛されず、幼稚園小学校では「優等生」「模範生」としてあまりにも破格の待遇、他の生徒と別格に扱われ差別されてきましたが中学では生徒や教師や養護教諭からいじめられました。不適応起こして家庭内の苦しみや二次性徴の苦しみを堪えて受験した最難関中高一貫を退学。親からも「金食い虫死ね」といじめられたことで体が動けなくなりいじめを伝えたら言われました。自閉圏なのに賢かったから周りに溶け込めたので誤診され医者からも激しく暴言を受けました。レイプされた時も親からのセカンドレイプの言葉で自殺図りました。
私には親親族は信じられず、家でも鍵をかけないと眠れないです。友人もいない、恋人もいない、誤診により飲まされていた、自閉圏の私が飲んではならない薬の投薬で体は今もボロボロな為、高校退学後大学進学も出来ていません。辛かったことのフラッシュバックも多く、離人症状が進んでいます。
命を削る死ぬほどの努力も沢山してきました。人間関係でも何でもです。誤診による1日20錠の精神科投薬で頭が朦朧としても勉強を必死にしていました。自分を殺して生きてきました。自己主張ができず嫌な思いを沢山してきました。
私は普通に見えるので周りに無理やり合わせていることや、記憶力が良すぎる為、他の人の些細な発言をも覚えているが周りは忘れている為、自分が感じる不信感よりも周りに気持ち悪がられないように必死です。母曰く「考えていることが高度で細かく綿密、周りが理解するのは難しい、私もなかなか噛み砕けないことが多い」と言われてしまいます。こちらが気を遣ったことも内容が高度で綿密すぎて言われた一瞬は相手が理解が出来ず、私もショックを受けます。母ともよくそのように揉めるのです。
必死に相手を慮っても逆に嫌われ、皆発言を忘れるので不信感しか私には残りません。疲れます。
ただでさえ私には親親族も友人も学歴もない。虚しさと共に無力感だけが残ります。だからこそ余計に「どんなに努力しても上手くいかない自分」と「それなりに普通に何でも手にしている周り」をみて余計に悲しく人を信じられなくなります
どうしたら良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
先ずは身体の健康を取り戻しましょう
やはり身体が弱っていると気持ちもネガティブになります。
先ずは身体の健康を取り戻しましょう。
あなたを信じてくれる人の協力を得て少しずつ健康になってください。
長年の投薬で弱っているでしょうが、いつかは治ると信じましょう。
痛みがあるのは身体が生きたいと思っているからです。
また、精神障がいで苦しんでいる人の力になってあげてください。
医者じゃなくでもカウンセラーでもいいです。
このハスノハにも多くの精神障がいの人が相談しています。
きっとあなたの様に自ら経験した人の方が、より良い回答ができると思うのです。
焦らず一歩一歩前進してください。
あなたの物差しでもなく、相手の物差しでもない
あなたのいう不信感は、あなたの持つ物差しで相手を測っているから起きるものでしょう。
私ならこうなのに、なんで?といった。事によるとあなたが先天的に持つ性格のせいで理解できないのかもしれませんが、自分の物差しでも相手の物差しでもなく、仏法という物差しで物事を見たらどうでしょう。
法は裏切りません。損も得もない。間違えのない真実です。
法に従い生きる。一般で言う法律ではなく、理解する以前の状態。
今日、私の寺では雨が降りました。春になり目を覚ましたアマガエルたちがケロケロとないていました。
私はなんの意識をしなくても、勝手にケロケロと耳から聞こえてきました。詳しく言えば、ケロケロでもないただその音がありました。耳を意識することもなく、音が存在していた。今は聞こえません。そんな当たり前のことが法です。うるさいだのケロケロだの、付け加える以前。そのものがただそのようにある。そこを信じて生きることが、仏道ということでしょう。
人の声も行動も同じ。ただそこにそのように。裏切られることもない。事実は信頼できます。間違えないです。
そんな生き方学んでみませんか。
質問者からのお礼
ありがとうございます
そうかもしれません。私は自分がありません、だから"私の"よりも"相手の"ことしかかんがえません。私の特性では確かに「私ならこうなのに」と思う人ばかりでしょうけれども私は自分の気持ちを感受することはやめるように仕向け、他人のことだけを考えてきたから誤診されたまでですし、今の離人状態は私が私を置き去りにしたからこそ発生したものです。
恐らく私の特性を書いても大体が今まで散々私をこき使うだけ使ってきた癖にそれを忘れて「ダメ人間」扱いかあるいは「嘘つくな、甘えるな」です。
人を信頼するなんて難しい、気を遣ってもエンドレス、記憶力が良いせいで苦しみ、周りから気持ち悪がられないように必死な今までを送りましたが、私が感じる強い不信感はカウンセラーに言われるまで忘れていました。
私は確かに自閉圏ですが、私が周りのことを考えられない人間どころか間逆故に誤診されました。むしろ私は私の物差しがない人間です。
目の前のものを信じろ、とのことだとは思いますが目の前をも疑わないとやっていかれませんでした。メールで送られてくる気分屋の父の甘い言葉を信じて痛い目に遭いました。何もかも信じられません。難しいです。こんな返事でごめんなさい
聖章さま
ありがとうございます。
体の健康とはとても難しいものだな、と思います。未だに9年ほど前のことを思い出します。私が辛さから逃げる為に勉強中毒になっていた時、通っていた塾の先生に「学生の本分は勉強かもしれない、でもあなたが今やるべきことは健康な状態でいること」と言われたこと。辛さに打ちのめされ「無理だよ」と思っていたあの頃の自分が憎いです。きちんと聞けばよかった、と。
今ここで私が聖章さまの言葉をかつてのように無視することだけはしてはならないことだとふと思いました。逃げたいことばかりです。今もなお父は平然と下半身を擦りつけてきたり露出したり、色々します。外でも涙が出そうなことばかり、家でも然りです。死んで逃げたい気持ちがかなり強いし、なかなかそれにも打ち勝つのは大変難しい。どちら道私には最後まで闘うことしか出来ないのだろうなと思います。なるべく頑張りたいとは思います。
すみません、追伸的な話です。
私、お二方の返答を読んで思いました。多分、誤解されてしまうことが多いんです。
相手がどう思うか等、誰もわからない。心の中は透けません。
だからこそ、家族のことのお手伝いでもなんでも、家庭内のことを管理する母にお伺いを立てるのが筋だと思い、昨日はたまたま目の前のものを私が片付ける時に、内容を母に確認したまでの話。でも母から見てその内容が意味がわからなかった。単純な母には私が困っている内容がわからなかったんです。人はやり方が2パターンあるとき、責任者に聞きますよね?
その内容には「私の物差し」がありません。「母にとり便利な方法(=母の物差し)」を確認したまでの話。私の物差しではないのです。
恐らく自閉圏の人間というと自己中に思われる方は多いのでしょうが多分、それはそう思われる方の「物差し」です。下手すれば偏見、です。人には優劣もない、平等ですが何故かそのようにご自身の知らず知らずに「色眼鏡」をかける方が非常に多いのでしょう。だからこそ、私は誤診されたのですが。
「誰かの物差し」とは恐らく誰もが知らず知らずに持つのでしょう。私から見てそのような「物差し」どころか「レッテル」を貼る方は不快です。その方は人の痛みがわからない、私から見て苦労知らずととります、何故ならばそのような言動が私から見て「不快」だからこそ相手の方の能力では無理なんだ、と思って差し上げることもまた相手への思いやりだからです。無理なものを期待されても誰もが困るはずです。
私はそうやっていなしています。周りの能力に疲れます。