「通う」ということがとても苦手です
はじめまして。
自分は幼いころから「通う」ということが苦手です。
集団行動が苦手なのか、環境の変化に敏感なのか、心が弱いのか、わかりません。
でもなんとなく つらいな…と思いながらずっと過ごしていました。
高校まではなんとか卒業しましたが、学校は欠席も遅刻も多かったです。
そして現在は仕事に継続して行くことが出来ずに悩んでいます。
自分の体質を考え苦しくなったら休みが取れるようにと日雇いの派遣バイトという形ですが、やっぱり連勤が出来ません。
仕事内容は問題ないのですが、出勤が何故かどうしても難しいのです。
自分としては、実家暮らしと言えどもう大人ですし、親の為にも金銭面で自立していきたいと思っているのですが…。
うつの疑いもあるようで、一度つまずいたり疲れてしまうと次の一歩を踏み出すまでに人よりもとても時間が掛かります。
1ヵ月仕事に行く勇気が出ず収入が0円の時もあります。
夢があり それを叶えるまでの辛抱だと頭ではわかっていても、心がなかなか追いついてくれません。そんな自分が嫌です。
こんなとき、どうすれば良いのでしょうか。
お坊さんがたは、頑張りたいときや一歩踏ん張るときなど、どのような心構えで挑んでいらっしゃいますか?
ご助言いただけますと幸いです。
ついでにもし可能ならば、聞くと心が落ち着くのでお坊さんにとっての小さな幸せなどもあれば教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、誰でも極楽浄土に往生できます。
だから、たとえば仕事に行くのが辛いときに、
「辛いとは言っても死ぬわけではない。仮に仕事の辛さでショック死したとしても極楽浄土に往生できるからそれはそれで良い。わが人生に悔い無し。南無阿弥陀仏」
と思うようにします。
私にとっての小さな幸せは、人差し指を伸ばそうと思ったら伸ばせること、息を吸おうと思ったら吸えること、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えようと思ったら念仏できることなど、身体を思いどおりに操縦できることを確認することです。
あとは、日常生活で好きな歌を脳内で歌ったり実際に口ずさんだり、リズムに乗って日常生活の動作を楽しんだりもします。
たとえば、洗濯機から洗濯物を出すときに、脳内で流れている歌のリズムに合わせて踊るように洗濯物を取り出すイメージです。
そうやっていると、毎日楽しいです。
通勤のため歩くときも、右足左足と念じながら瞑想的に歩くときもあれば、いかに効率良く推進力を生み出せるかスポーツの工夫のように歩く場合もあります。(おや、足首の力を抜いた方がスムーズに前に進めるぞ!とか)
つまりは、日常生活の普通の動作を楽しんでいるのです。
医学的に正しいかはわかりませんが、いつでも脳内で快楽物質を分泌できる感じがします。本当に幸せに生きています。
最後に、仕事に行けても行けなくても念仏すれば極楽に行けますので、安心してください。