離婚より前に死にたい
生きる希望がありません。
幸せな結婚生活が音を立てて崩れました。家庭に恵まれなかった私は彼との生活がすべてでした。しかし彼が新しい趣味に没頭して寂しかったことや更年期のヒステリーが重なり悪魔にとりつかれたような私になってしまい酷い言葉を発してしまいました。それにより彼は家を出て行きました。謝罪も反省もしましたが許してもらえませんでした。
話し合いもできないまま、別居がはじまり離婚へと向かっています。
このことを知った老親のショックは大きく、経済的にも心理的にも負担をかけてしまいました。老親も持病を悪化させてしまい、それをきょうだいに責められて、私自身も申し訳なく思い、帰る場所もありません。
パート先では家族の話ばかりで自分がさみしくてみじめです。
世の中のすべての人が幸せに見えます。
私はくたくたに疲れて帰ってもひとりぼっちです。
泣かない日はありません。泣きすぎて過呼吸になる日もあります。
両親に「離婚成立」を告げたくない、まだ離婚は成立していない、それだけで生きています。
前向きに、というのはわかっていますが、鬱病を発症してしまった私にはとても難しいことです。
彼への執着だとも思います。
でも執着を手放せ、と言われたら、私は生への執着を手放すほうがよほどたやすいのです。
孤独と貧困、という自殺の2大原因が揃ってしまいました。
しかも鬱病です。
離婚より前に死にたい、彼の妻のままで生涯を閉じたい、そんな思いでいます。
不安しかない。希望がない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お気持ちお察し致します…でも死なないで下さい!
死んではダメです。決して死を選ばないで下さい!
その上で申し上げますが、私にも『死にたいくらいにお辛いあなたの状況、またそのお気持ちの少しだけは分かる』ような気がします
でも、死んではいけません…というよりも死ななくてよいのです。
どうも、今あなたは 現在の状況は御自身が作り上げ、そこに陥ってしまった…と思い込んでいらっしゃるようです。
確かに仏教では「因果の道理」を説きます。結果には必ず原因があるということです。ならばやっぱり自分が悪いんじゃないか…自分の蒔いたタネじゃないかと受け止めてしまわれるかも知れません。
でも、ご相談の一番最初に『家庭に恵まれなかった私は彼との生活がすべてでした』とおっしゃっています。
あなたがお育ちのご家庭でお辛い状況下 過ごされ、夫君にある意味依存されるようになってしまわれたことは因果の道理なのです。あなたの思い・あなたのできる努力 以上の力が作用した結果なのです。その全責任をあなたが負う…なんて、出来ませんよね。負わなくて良いのです。
もう、離婚は避けられないかも知れません。でも、ならばこれから あなたはあなた御自身の人生を生きていきましょう。
ご病気故に御仕事が辛ければ、退職または休職されて良いのです。必要であれば一時的でも公的機関からの扶助を受けて良いのです。国民の権利ですから…。
生きていきましょう…離婚という事態によって夫婦関係は終了しますが、あなたの人生が終了するわけではないのです。終わらせないで良いのです。
さあ、あなたの人生の再スタートを切りましょう。悲観的になるのは早過ぎです。
人生は山あり谷あり…生きていれば、辛いことが多いのは事実ですが、でも楽しいこと嬉しいこともあります。
ささやかな幸せを掴むために生きていきましょう…頑張って生きなくても良い…自然体で生きていきましょう…今いのちあることに感謝を致しつつ。
仏様は決してあなたを見捨てません…ずっと御一緒下さいます。
質問者からのお礼
小林覚城様、有難うございます。私のためにお言葉を下さる方がいて下さったということに涙が止まらない状態です。また追記させて頂きます。取り急ぎ、私のために有難います、とお伝えさせて下さい。