30歳の誕生日に死にたいです
タイトルの通り、30歳の誕生日に死のうと計画しています。理由は、この人生でできることは一通り終えたからです。
アラサーと呼ばれる年齢になり、今後の人生に訪れうる「楽しい」は、30歳までの人生で感じてきた「楽しい」の、劣化版焼き直しに過ぎないであろう、と気づき始めました。
これまでの「楽しい」と別種の幸福を得る手段は二択。結婚・出産の道か、バリキャリの道と考えています。
ですが、どちらもわたしには実現不可能と思えます。というのも、バリキャリになるにはあまりに低学歴かつ無能で、異性に選ばれるるにはあまりにコミュ障かつデブスだからです。
バリキャリ人生を歩める企業は、わたしのような経歴非正規オンリーのゴミカス人間を選ばないでしょう。
子どもを作りたいのに、低スペ極まりないわたしを選ぶ男はアホの極みでしょう。そして、アホ同士がまぐわった間に生まれる子どもは、遺伝&経済力ガチャ失敗確定。そんな無責任なことはできない、とも思います。
であれば、今後の人生は衰える一方ではないでしょうか?過去の「楽しい」の面影を、ぼんやりと夢遊病者のごとく追いかけながら、独身”貴族“とは程遠い貧しい生活を、老いてゆく肉体と病苦と共に、惰性で過ごすだけではないでしょうか?
そのように生きながらえるくらいなら、心身健康な若きうちに、死に場所と死に時を自ら選んで、人生を終えたいのです。腰が曲がる前に、まっすぐ立って海へ向かいたい。海沿いの坂をおのれの足で下って、太平洋に呑まれたいと、心から思っています。
このような考えは不自然なのでしょうか?鬱病のような激しい希死念慮ではなく、自分自身にとって理想的な人生の在り方として、自死を選択したい、と感じています。
なお、身内や知人の感情に配慮する意思はありません。特別に親しい知人がいないので、わたしから連絡を取らなくなればそれまでです。最低限、赤の他人様のご迷惑にならないよう、また、海に惹かれるわたし自身の心のために、自宅と線路では行わない所存です。
綺麗事でないご意見をいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誕生日はいつですか。こうやって あなたを想っていますね。
できることは、一通り終えたのですね。その上で、あなたが決めたことなら、生き方も終え方も自分の道を進めばいい。
プロフィールも読ませてもらいました。あなたの環境や経験から見えてくる世の中。実際に、それが現状なのでしょうね…。
「楽しい」の劣化版焼き直しとわかっていても、しがみついて未来に期待をして生きる人もいます。嘆きながらも死ぬことを恐れ生きる人もいるでしょう。繋がりを持ち、どんな自分にも価値を見出す人もいるでしょう。いのちの拠り所に信仰を頼って生きる人もいるでしょう。
人それぞれの考えや生き方があっていいのです。
あなたにとって理想的な人生の在り方を決めて選んでいきたいのなら、あなたの考えも尊重したい。
誕生日はいつですか。まだこうやって、話せる時間があるのかしら。
せっかく繋がったのです。こうやって あなたを想っていますね。
お仕着せの価値観に惑わされないで
あなたは人生で楽しいことはやり尽くした、30歳を機に人生を終えたいとおっしゃっていますが、私にはあなたのこれまでの人生が幸福だったとは思えません。
結婚と出産、もしくはバリキャリが女性にとっての幸福であると考えるなら、あなたはもっと早い時期に、そちらの道に向かって進むべきだったでしょう。
そもそも、そんな価値観がまったく間違っています。
仕事ができる女性の中には、孤独と虚しさに苛まれ、幸福感とはほど遠い毎日を送っている人たちが少なくありません。
また容貌が優れているからといって、必ずしも理想的な伴侶を見つけ、幸せな結婚生活が送れるわけではありません。
私はこれまでの長い人生で、両者の例を山ほど目にしてきました。
どうか、お仕着せの価値観に騙されないでください。
人の敷いたレールを歩むのではなく、自らの手で道を切り拓いてください。
あなたがこれからどんな人生を送れば今より幸せになれるのか、 ここでは具体的に申し上げることはしません。
ぜひ自分自身で、時間をかけて見つけてください。
ご返信ありがとうございます。
あなたがこれから一流企業に入社して出世の階段を上ることや、若くてハンサムでお金持ちの結婚相手を見つける可能性は、僅かでしょう。
しかし、そんなことは本当の幸せとは直接関係はありません。
他人を羨ましがらせることはできるでしょうが、その程度です。
繰り返しになりますが、周囲から押し付けられた、馬鹿げた価値観はきっぱりと捨て去ってください。
あなたがこれから楽しく生きる、幸福な人生を送る可能性は無限大です。
それを実現するかどうかは、すべてはあなた次第です。
どうか、そのことに気付いてください。
あなたと同じような悩みや苦しみを抱えている人たちに、私の拙い回答が少しでもご参考になれば幸いです。
人や社会のために働くことは楽しいです。
お互いに尊敬し合える伴侶と一緒に暮らすことは幸せです。
それはあなたを含め、誰にでも実現可能なことです。
学歴や容貌は絶対条件ではありません。
ただし、それを心から望んで努力する必要があります。
まだ三十歳前のあなたに不可能だとは思えません。
いや、四十歳、五十歳を超えてからでも一念発起すれば、十分可能です。
それを諦めて人生を終わりにしようと考えるのは、絶対に間違っています。
(字数がオーバーしたので以後はつぶやきでお答えします)
その歩みを満ちていく海ではなく、誰かと繋がる方向へ向けて
ご相談ありがとうございます。30歳という節目を前に、ご自身の経歴や未来に絶望し、冷たい海へ歩み入る決意をされるほどの深い苦悩、しかと受け止めました。
あなたはご自身を「無能」「価値がない」と厳しく責め、これからの未来は過去の「楽しい」の劣化版に過ぎないと思い詰めておられますね。しかし、仏教の教えに照らせば、人間の価値は決して「仕事の能力」や「容姿」「社会的地位」といった世俗の物差しで決まるものではありません。阿弥陀様は、ありのままの、傷つき苦しむあなたを、唯一無二の尊い存在として丸ごと受け止めておられます。
過去に「楽しい」と感じた記憶をお持ちなのは、あなたの心が本来、豊かに動く力を持っている証です。将来がどうなるか、実は誰にも分かりません。自分の想像の枠組みをはるかに超えたご縁が訪れることもあるのが人生です。だからこそ、私たちは先の見えない「今日1日」を大切に生きるのです。
綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、どうか、その歩みを満ちていく海ではなく、誰かと繋がる方向へ向けていただけませんか。あなたの尊い命を、ご自身で終わらせてほしくありません。まずは一度、「いのちの電話(0570-783-556)」や「よりそいホットライン(0120-279-338)」などの相談窓口に、その重いお気持ちをそのまま吐き出してみてください。どうか、生きてください。
拝
縁起寺 釋聴法
質問者からのお礼
「結婚と出産、もしくはバリキャリが女性にとっての幸福であると考えるなら、あなたはもっと早い時期に、そちらの道に向かって進むべきだった。」ごもっともです。
だからこそ死ぬつもりでいます。未来ある若者にのみ許された、人生における様々な機会を、アホでのろまなために失ったアラサーに、もはや取り返すチャンスはありません。
客観的に見て幸福でない、というのもごもっともです。低スペの底辺人生を歩んできた以上、実際に、(相対的には)その通りでしょうから。
人生が好転する、わずかな可能性に期待しようとも思いません。理論上の可能性がゼロでないことと、そこに賭ける価値があるか否かは別問題です。
わたしには、だからこそ死ぬ、としか言いようがありません。
補足として、バリキャリでも既婚でも、幸せを感じていない方がいるのは存じ上げております。しかし、その事実はわたしにとって何の意味もなしません。
彼女らが不幸であるのなら、高い収入と既婚という社会的ステータス、その両方を持たないわたしがより不幸であることは自明だからです。
宗教が生まれつきスペックの低い人間に求めることは、要約するならば「低スペに生まれたお前が悪いのだから上を見ずに諦めろ、さもなくばあるかないかもわからない可能性に縋っていろ」でしかない。
そのことがよくわかりました。
わたしは高収入のイケメンと結婚したいと書いた記憶はありませんし、高収入のイケメンにわたしなんぞを選ぶ理由はない、ということくらいはわかっています(ブス専ならありうるかもしれませんが)。
身の丈にあった低所得同士、子なしで、交通の便の悪いアパートで慎ましく暮らすことさえも、世間様の価値観に毒された、哀れな女の「高望み」なのでしょうか?
そんな世の中なら、もういりません。
望む形の幸福を諦めることが人生の必須条件であるのなら、そんな人生はいりません。
以上がわたしの結論です。
人並みの収入、結婚適齢期での結婚。こんな「普通」が高望み扱いされる人生を生きたくないと思うことは、わがままですか。
要はすべてわたしの努力不足であり、自己責任であるということですね。ネットに蔓延る自己責任論が正しいということなのでしょう。
しかし、「普通」になるために、「普通」以上の努力を要する人生というのは、ほんとうに自己責任でしょうか?
「普通」の顔面を手に入れるのに金を貯め、痛みに耐えて整形するしかないこと。「普通」の所得を得るために、親の金で高学歴になれた人間がしなくていい労力を払わなくてはならない、あるいは奨学金の返済に追われなくてはならないこと。
ほんとうに、「すべて」自己責任ですか。
むろん、たとえば勉強をサボって成績が悪い、毎日二郎系ラーメンを食べてデブ、のように個人の行動に起因する欠点もあります。
ですが、ほんとうに「すべて」がそうでしょうか。
団子鼻で重たい一重の幼稚園児は「本人のせいで」思春期以降もブス確定なのですか?
家庭の事情で希望の進路を諦めた人は、親兄弟や祖父母を捨てればよかったのですか?
と、疑問に思わずにいられません。
人生というのは、押し付けられたものでしかありません。この世の誰も自ら望んで生まれてはいないからです。
と仮定するとき、押し付けられたものが気に入らなければ、捨てる権利もあるのではないでしょうか。
贈り物があまり好みではなかったり、食べられないものであるなどして、人に譲ったり捨てたり、あるいはお蔵入りしていたり、というのは、たびたび起こることと思います。
(わたしの実家では結婚祝いのガラスのグレイビーボートがお蔵入りしています)
同様に、自分にとって望ましくない人生を、捨ててはいけないのでしょうか?
わたしは貧乏の家にブスとして「作られた」だけです。自分で選んでお金を用意し、自分好みの品を買うように、望んでこの人生を得たのでは決してありません。
なぜ人生に関してだけ「望まない贈り物をされても使え。文句を垂れるな」が通用するのでしょうか?
わたしは、納得のゆく理由に出会えたことは人生で一度もありません。
(掲示板に近しい場に長文を投げることは避けます)
これからの人生は変えられる。そうかもしれません。ただし“身の丈に合った範囲において”という注釈をつけるのなら、が厳密には正しいかと思います。加えて、わたしのような生まれつきの低スペにとっての“身の丈に合った範囲”は、ごく限られています。
「人生は変えられる」という意見は、努力で変えうる範囲の広い人間にとって、堅実かつもっぱら正当な事実であり、逆の立場の人間にとっては理想論でしかありません。
例え話をしましょう。小中高と学校に通わず、友達の1人もいなかった女性が、同級生をたくさん招待した華々しい結婚式を挙げたいと願ったとしても、まず無理でしょう。
(社会人になってから知人を作ることもできると主張はできますが、彼女が「同級生」を望むのなら、それは無意味です)
この世には「過去を捻じ曲げなければ叶わない未来」がたくさんあります。未来は”いくらでも“は変えられないのです。
例え話の女性に「自己責任」と言いますか?「高望み」だと言いますか?不登校の原因が、いじめであっても、病気であっても、虐待であっても、言いますか?「あなたがそう生きたのだからあなたが悪い」と、言いますか?
世間様は言うのだと思います。ですが、わたしはそれに否を突きつけたいのです。生まれつきの低スペにだって、(世間様は高望みと嘲笑う)自分の理想を抱く権利はあると思っています。
世間の多数派がどうであろうとも、わたしの人生は変えられない。丸太の船がクルーズ船より速く航行することはないのです。
速く航行できないからといって、丸太の船の船長に非がありますか?丸太の船の船長は、「俺もクルーズ船に乗りたかった」と思ってはいけないのでしょうか?
一方的に底辺に設定された人生に甘んじる意思は、わたしにはありません。わたしの人生という船の船長はわたしですから、航海の継続を決定する権利は、わたしにのみ存して然るべきです。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート
◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )