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両親の死後

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

自然の流れで両親を見送ったとして、そのあとどう生きるべきか何年にも亘りずっと考え続けてきました。しかしこれをするまではどうしても死にたくないという目標がありません。いまの人生の目標は、両親より長生きすることです。無理やりその後を生きる理由を探して、これだと思うときもあるのですが、正直他の目標はそこまで深く望んでいません。どんなに考えても、いつも同じ考えにいたります。両親が亡くなったら、本当にいつ死んでもいいです。オーバードーズして入院したことがあるので、量を増やしまたそうしてみようかなとも思います。まったく悲観的に考えているのではなく、本当にもう自分の人生に満足しています。十分生きました。無理に生きたいとも思わないです。

2026年3月11日 11:42
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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

他者のために

お釈迦様は、自分のための修行を完成されて悟りを開いた直後に、そのまま亡くなってしまおうかと考えたそうです。
しかし、それから40年以上、他人のために教えを説く旅を続けられました。
自分のためにやるべきことが完了したのであれば、他者のために活動なさってはどうでしょうか。
それは社会への恩返しにもなるでしょうし、未来の人々への貢献にもなり得るでしょう。
右から左へお金を動かすだけ(小さな買い物をする等)でも経済効果を生み出せますからね。

2026年3月11日 12:32
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

「何の目標も持たない」からこそ、そこに安らぎが生まれます

ご両親を見送った後の人生について、深く、そして長く思い悩んでこられたのですね。

まず初めにお伝えしたいのは、あなたが再びオーバードーズを考えていることに対し、私は大変心配しているということです。
その手段を考えるほど、あなたは今、深い苦しみや辛さの中にいるのだと伝わってきました。
どうか「やっぱりやめようかな」という思いが少しでもあるのなら、すぐにでも専門のお医者様に相談してください。

あなたは「自分の人生に満足している」と書かれていましたが、この「ハスノハ」に投稿してくださったということは、心の奥底ではまだ何かを聞きたい、ご自身の思いを誰かに届けたいという願いがあるからではないでしょうか。
どうか、そのご自身の素直な思いを認めてあげてください。

仏教や禅の教えでは、「生きる目的があるから生きる価値がある」とは考えません。
朝目が覚め、息をして、ご飯を食べる。
それ自体が立派な命の働きです。
坐禅も「何の目標も持たない」からこそ、そこに安らぎが生まれます。
生きる目標がなくても、人は生きていけるのです。

ご両親より長生きしようとするあなたの思いは、他人を思いやる、とても優しく尊いものです。
しかし、ご両親がいなくなったからといって、あなたの生きる価値がなくなるわけではありません。
その深い優しさを、今度は「ご自身のため」に向けてみませんか。

「十分に生きた」という感覚は、もしかすると「もう歩き疲れた」という心からのサインかもしれません。
人生を終えるのではなく、ただ立ち止まって「休息」してみてはいかがでしょうか。
無理に生きる目標を探さず、今日一日、目の前にあることを粛々とこなすだけで十分です。

つらい時は一人で抱え込まず、お医者様や「いのちの電話」などを頼ってください。
そしてまた苦しくなったら、いつでもここに思いを吐き出してくださいね。
あなたの人生を、どうか大切になさってください。
合掌

2026年3月13日 7:10
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有り難し
おきもち

個別相談可能
蓮城院というお寺の副住職。 主に坐禅をしたり、庭掃除をしたり。 ハスや野菜を育てたり。最近はAIマンガにチャレンジしています。 ちなみに蓮城院は二宮金次郎(尊徳)のお墓があるお寺。 また、毎月第1月曜日、第1土曜日に坐禅会を開催しております。 ■X(旧Twitter)アカウント■ https://x.com/koubun_osho
対応できる時間帯は、18時から20時。 自動車開発エンジニアの経験がある。 元サラリーマンの僧侶です。 会社内の人間関係のご相談引き受けます。

目標って、何でしょうね。

 こんばんは、世の中春に向かっているのは分かるものの、何か無邪気に楽しみにできない私です。
 さて、タイトル「目標って、何でしょうね」。これ、コットンさんがどう捉えているか、ぜひお伺いしたいです。登山をされていたのですから「標しるべ」はもちろんご存知でしょう。ただ、目標は多分、少し違う。言葉で表現されるからです。そしてまた、「目的」とも異なる。目的という言葉の前では、目標は「中間地点」であることが分かりますね。
 さて、コットンさんは「どう生きるべきか分からない」とおっしゃいますが、それと「目標がない」は違う、と私は思うのです。
 「どう」は言わば「どの道を行くか」であり、「目標」は「何処へ、何処を目指して」ですよね。この違いは、向ける目線の先を変えると思うんですよ。「どの道」は目先の一歩を見ている。今どこに足をつけているのか。周囲はどんな風景か。「目標」はいつも彼方。周囲の風景は、安全確認をする程度になるのではないでしょうか。

 あなたはおっしゃいます。「自分の人生に満足した」と。
 でも我々に、何かを求めている。ここは掲示板ではなく、問答サイトであることは、もちろんご存知ですよね。あなたが求めているのは「回答」でなく「対話相手」、それで充分だと思います。
 「人生に満足した、その先に何があるのだろうか?」これは、従前の価値観では計れませんよね。達成前と達成後に世界が変わる体験は、もうされていますよね?
「無理に生きる」という言葉も疑いの目を向けられますよ。「どこからが無理、なのか?」を充分見ていないですからね。
 ということで、コットンさんと話してみたいこと、たくさんありますよー。友達になりたいです。

2026年3月11日 21:19
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

願誉浄史さま

とてもありがたいお話でした。お釈迦さまがそのような人生を歩まれたことは、初めて知りました。それも40年以上とは、驚きました。お釈迦さまに比べ、とても次元の小さい話で大変恐縮ですが、いま私も人をサポートする仕事をしています。それが両親の死後、生きる理由にならないか、真剣に仕事に向き合ってみます。本当にありがとうございました。

佐藤良文さま

ご回答ありがとうございます。私にとって登山をした最終的な目標は、ヒマラヤにいると現地民族(シェルパ)に信仰されている神様に、私が生きていることを許してもらうためでした。

私が文章を書く最も大きい理由は、精神障害者になった自分の人生を受け入れるためです。

どちらも完遂したと思います。もちろん日々の悩みや体調が悪い日はネガティブに考える日もあります。しかしもう本当に両親を見送る以外にやり残したことがないと思い、問答という意味ではなく気持ちを聞いて欲しくてこの質問をしました。

願誉浄史さまのお話で、お釈迦さまが修行を完成され悟りを開かれたあと、亡くなってしまおうとしたということには、何か、とても感動しました。お釈迦さまとは、次元が全く違い大変恐縮ですが、非常に共感しました。

昨日、仕事の打ち合わせがあったのですが、これから両親が亡くなるまでの間にそれが自分の生きる意味にならないか考えているところです。

コウブンさま

ご回答ありがとうございます。コウブンさまの優しいアドバイスを読んで、朝からほっとしました。

コウブンさまの『坐禅も「何の目標も持たない」からこそ、そこに安らぎが生まれます。
生きる目標がなくても、人は生きていけるのです。』

というお言葉を初めて知りました。何の目標も持たない生き方だからこそ、安らぎが生まれる。そういう生き方もあるのだなと思いました。

若いころから常に目標を持ち生きてきました。でもそうじゃなくても生きていける、というアドバイスをいただいたこともこの先、頭に入れに入れておきます。

本当にありがとうございました。

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