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私は人を見下して生きてきました

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私は人を見下して生きてきました。
私は(おそらく)周りの人間からは善人だと思われてきた類の人間だと思っています。
しかしそれは、人と対等に渡り合おうとしなかった結果です。小学生のころ、私は同級生のガキ大将格の人間から嫌がらせを受けてきました。辛かったですが、私はそれを笑って受け流していました。周りの人は私を優しい人間だと言っていましたが、私は彼を心の中で見下していたのです。だから、言い返したり、抵抗したりして対等に渡り合おうとしなかったのです。
私は人を見下してきたので、人も私を見下そうとしているものだと思っていました。ですから、私は人に見下されることを極端に恐れていました。周囲に見下されないよう、挑戦することや、主張することを怠ってきました。結果として、僕は閉鎖的なコミュニティーの中で中学、高校時代を過ごしました。私は、当時そのコミュニティーを親友の集いだと考えていましたが、今思えば、それは単に私が優越できる場に過ぎなかったのです。
私は、人に完全に心を開いたことがありません。親にもです。人を見下し、対等に渡り合わず、その場をしのいできたからです。
私は、これまで、人に心を開かず、その場しのぎを繰り返して人生をやりすごそうとしていました。そして、おめでたいことに、私は自分のことを善人だと思って生きていました。しかし、大学進学を機に、様々な人と触れ合うと、その試みと自己像が瓦解したことに気が付きました。消極的に生きてきた僕は、人間関係を円滑に進めていく力など、人間力の様々な点において稚拙な大人に育ってしまいました。もはや、その場しのぎで他人から良く思われることすらできなくなっていたのです。
これまで人を見下してきた分、今は、あらゆる視線が僕を見下しているような気がしています。まさに自業自得です。これから社会に出て生きていける気もしません。死にたいという思いが押し寄せてくることも多々あります。
しかし、私は生きていたいです。こんな私にも、親は深い愛情を注いでくれました。親を悲しませたくありません。しかし、人に見下されないことだけを考え生きてきた私が、それを失った今、どういう方向性をもって人生を歩むべきか全くわかりません。
どうしようもない私ですが、これから生きていくため、アドバイスをいただけないでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人は誰しも他人が怖いのですよ

質問を読ませていただきました。
長年培ってきた自分の評価や考え方を自分で否定せざるを得なくなる・・とても辛いことでしょう。

みずうみさんのご質問を拝見するに、みずうみさんはきっと他人が怖かったのではないでしょうか。それを、「見下す」という形で自己防衛なさってきたのではないでしょうか。
ひょっとしたら、それほど追い込まれていたのかもしれませんし、そうしなければ上手に自分を保っていけなかったのかもしれません。

しかし、人というのは多かれ少なかれ、誰しも他人が怖いのですよ。当然です、自分とは違う考えを持ち、自分とは異なる個性で、自分とは異なる文化(家庭状況など)で育ってきている人たちなのですから。
私だって、他人が怖くなるときがあります。同じ言葉をかけても、それを良しとする人もいれば、それを悪しとして攻撃してくる人もいる。相手が何を考えているかわからないから、どのように行動すればいいか分からなくなる。

それでも、人として生きる以上は他人との関係を絶って生きることはできません。人間は社会的動物であり、必ずどこかで他人と繋がっているので、一人では生きていけないのですから。
だから私は「たとえ自分のことを悪く思う人がいても、他人のことを思いつつ自分らしく生きていれば、必ず自分のことを分かってくれる人がいる」と信じて、自分が良いと思った言動をするようにしています。

ですから、まずは「他人のことが怖いのは自分だけじゃないんだ」ということをしっかり認識して、ご自分を安心させてあげてください。
その上で、まずは小さな一歩を踏み出しましょう。世間話を通じて、少しずつ仲を深めていってください。その上で、少しずつ自分の気持ちや、考えを混ぜて会話を進めていくといいですよ。

自分の「他人が怖い」という思いが強いと、それが言動に表れてしまって、他人に警戒感を抱かせます。恐る恐る赤ちゃんを抱くと、その不安が伝わって赤ちゃんは泣いてしまうという現象に似ているのかもしれません。
しかし大丈夫です!実際のところ、思ってるほど他人は怖くないですよ。

そんなことを考えながら、人との交流を図ってみてくださいね。少しなれてくれば自分に自信がつきますし、生きる気力もわいてきますよ!

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私たちの頃は、少なくとも文系の大学生はヒマだったので、勉強以外のことに打ち込むことができました。その「打ち込むこと」は何でもよくて、ひとそれぞれなんですが、クラブ活動により人間関係力が激変した人はたくさんおいででした。

私どもの檀家さんですと、演劇部に入ってから引っ込み思案だったのにドンドン周囲の人に話しかけられるようになった方がおありです。積極的に人間関係を作っていける娘になった、とご両親が喜んでおられました。

昨今は大学生も忙しくなり、そんなゆとりはないかもしれません。私も少しは大学で話すことがありますし、子ども食堂に来てくれる大学生の様子を見ても私たちの頃とは違うなぁ、と思います。

したがいまして必ずとはいえませんが、何がしかのサークルに飛び込んでみるのがおそらくは最上のお悩み解決法のように思います。「バカ」になってみるチャレンジが出来るのは学生の特権です。いまがチャンスです。大学生のうちなら許されることも卒業してしまうと許されなくなってしまいます。自分の殻を破るには適切な環境です。

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質問者からのお礼

藤川誠海様
ご回答ありがとうございます。
他人が怖い自分に向き合って一歩一歩歩んでいくための方法を教授してくださり、また、暖かい言葉を下さり、ありがとうございます。
他人は思っているほど怖くはないというお言葉で気が少し楽になりました。
いただいた言葉を胸に、頑張っていきたいと思います。
また辛くなったら、このご回答に戻ってきたいと思います。
本当にありがとうございました。
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藤岡俊彦様
ご回答ありがとうございます。
「バカ」になるというのは頭でっかちで生きてきた私にとって、
最も欠けていた部分だと思います。
大学生という貴重な時間を生きている今、「バカ」になることのできる大切な物を見つけて、打ち込んでみたいと思います。
生きるヒントを下さり、本当にありがとうございました。

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