人間不信な自分を変えたい
はじめまして。
初めて質問をさせて頂きます
中学の頃いじめられた経験からか、人間不信な部分は小さい頃からあります。
しかし両親の元を離れ一人暮らしをはじめて3年目の
ここ1年くらいでそれが加速してきたように感じます
自分が他の人に何かをしようと言われた時、自分はいいように相手に利用されて、相手だけが得をしているように強く思います
今、過去あった事を思い出しても「あの頃は気付かなかっただけだ」と感じ過去の相手に対し強烈な怒りを覚えます
また逆に、自分から他の人へ何かをしようと持ちかけた時、私は他の人をただ便利に使おうとしているだけなのではと思ってしまうのです
こんなことをうだうだ考え一人で勝手に嫌な気分になる自分に嫌気がさし、これからもひとと関われば関わるほど増えるのかと思うと
ひとと関わる事が億劫になってしまいつい他人と距離をとってしまいます
しかし、本当はもっと様々な人と出会って関わって広い世界が見たい、他の人たちを端で眺めながらそんな風に思う自分も心の中にいるのです
どうしたらこんな、人を利用されている・利用しているなどといういやしい考えを持つ自分を変えられるでしょうか
変えられなくても、受け入れ前向きに人と関われる考え方などはありますでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「利用」じゃない「助けあっている」
私は昔から、自分でなんでもやって、自分で解決するタイプでした。
人に頼んだり任せては申し訳ない、と。あなたの言葉を使えば「人を利用するなんてイヤだ」、と。
一方で人から頼まれた仕事はしっかりやりました。丸投げされたときはイヤな気分になりましたけどね。でも相手の喜ぶ顔が見られたら、うれしいですよね。
でもね、ある日、どうしても自分だけじゃ時間が間に合わない仕事が入ってしまいました。
私はこの時、初めて仲間に助けを求めました。
そうしたら、みんな喜んでやってくれたんだよね。
なんだか力が抜けちゃった。なんだ、「他人に頼んでは申し訳ない」なんて事ないんだ、って。
それからは、自分ももちろんがんばるけど、無理せず、困った時は、人にお願いする事にしました。そうすることで、友情がさらに深まることもわかりました。
自分が誰かに頼まれたことをする、自分が誰かに頼み事をする、これは「利用する」「利用される」の関係ではなく、「助け合う」の関係だと思いますよ。
質問者からのお礼
こんなに早く回答をいただけるとは思っていなかったので、とても驚いております。
助け合うという言葉をみた瞬間になにかがストンと心の中におさまった感じがしました。
すこしずつですが人に歩み寄って行けるように努力して行きたいと思います。
貴重なお時間をわざわざ割いていただき、本当にありがとうございます。