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ある考えに取り憑かれています

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少し奇妙な話だと思われるかもしれませんが、お時間いただければ幸いです。

この頃2,3年ほど、頻繁に「死ななくてはならない」という考えが定期的にやってきます。しかし、死にたいわけではないのです。
死ぬということは私にとってはとても恐ろしいですし、いずれ死んでしまうのにわざわざ急ぎたくはないです。

「死ななくてはならない」という考えが出てくる流れは大概の場合
これからも周りの人に迷惑をかけ続けるのなら今のうちに死んだほうがいい、というものですが、これに反論するのは簡単です。
①死ぬほうが迷惑 ②故意でない迷惑はかけ合って生きていくものだ。などです。

しかしこの「死ななくてはならない」(以下、この考えと表記します)
という声はとてもしぶとく、どれだけ論破しようとしても、全て「自分を甘やかして死にたくないだけの言い訳」と思わせてきます。

例えば、「未来の自分が他人にかける迷惑を憂うなんて馬鹿馬鹿しい。そうならないようにいま目標に向かって進んでいるんだ」 と考えると、

「お前みたいなやつが将来どんな貢献ができるんだ。そもそもこんなことをうじうじ考えている時点で頭がおかしいのに、偉そうにほざくな」と、返してしまうのです。

暇さえあればこのような下らない問答を脳内で繰り返してしまうのです。
この考えは大抵非論理的ですが、しぶとく、なにより自己弁護している間抜けさが厄介です。

これだけは確かなことだと信じたいのですが、私は死にたくないです。
自己嫌悪が激しいわけでもなく、自分のこともそこそこ気に入っています。(と自分では思っています。)客観的に自分を見るのは難しいです。

ただ心配なのは、この考えに取り憑かれている時、死というものが軽く感じられてしまうのです。このことはとても失礼で軽蔑するべきだと思います。
おそらく私が恵まれた環境でのうのうと生きているから頭でっかちに考えるのですが、どうか決定的な「この考え」に対しての反論をいただければ幸いです。

なぜなら私はやるべきことがあり、頻繁に思考に時間を割くのが無駄だからです。
長文、拙文失礼いたしました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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思考には手を付けない

そこまで冷静に分かっていながらその考えに振り回されてしまうということですよね。
非憑依型の解離性同一症のようなものでしょうか。
私は専門家ではないですが、専門的な病院をお探しになるのも一つの道ではないかと感じました。

わざわざ自死の道を選ぶ必要はありませんよね。生きていることが仏さまの働き、いのちの働きです。それに逆らうというのは人間の考え方でそう判断したということ、宇宙の法則「仏法」とは離れた行動です。
思考ではなく身体は生きようとしている。心臓は動き血をめぐらせ、呼吸をして酸素を取り入れている。爪も髪も伸びる、皮膚も生まれ変わる。これは私たちの意思とは関係なく行われていること。実はすべての感覚器官で行われていることは人間の思いとは関係なくそうなってしまっています。眼を開ければそのようにものが見える。口の中にものを運べばその味がする。そうなっているのです。私たち人間の考えなんて足元にも及ばないのですから。ですからお任せです。思いには手を付けないことです。

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有り難し
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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
そうですよね、くだらん考えには手を付けないのが一番ですね。
改めて自分の書いた文章を読み返したらなんだか可笑しくなってきました。
質問してよかったです。

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