前向きな一歩を踏み出すために
初めて相談させて頂きます。
貴重なお時間をありがとうございます。
夢に向かって、冷静に、変化を恐れず踏み出すためには、
どのような心を大切にすると良いのでしょうか?
私はこれまで、側から見れば不自由ない暮らしをして来たと思います。
その事に感謝する気持ちに変わりはありませんが、ただ忙しく働く日々の中で、
いつも何かしらの理由を付け、自分の心を抑えて生きてきたようにも思います。
そんな折、昨年から例に漏れず暮らしがガラリと変わり、
自分の時間が増え、次第に考えや思いにも大きな変化が生まれました。
そして、大人になって久しぶりに、大きな夢が出来ました。
今の慣れ親しんだ環境ならば、今後も何となく渡っていけると思いますが、
伸びしろに限りがあります。何よりも、結局また以前の生活に逆戻りです。
夢を目指すには、まっさらなスタートに立つ必要がありますし、
相応の覚悟と取捨選択も伴います。それが怖くも、楽しみでもあります。
もし上手くいかなかったら、と不安と焦りが押し寄せてくる反面、
意味を持って努力する経験ができることに、希望を感じています。
良い未来を作るための心構えや、仏教の教えをご教示頂けますと幸いです。
乱文で申し訳ありませんが、何卒よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最初から何も持って無い
拝
生まれた時と
死ぬ時私達は何も持っていません
今持っていると思っている生活に必要なものやあってほしいものも
それによりもたらされる安心や安全も
自分のものと思っているだけで
貴女の中にあるのは所有していたいという願望です
そして無ければいけないと思い込んでいる恐れが貴女の中にあるだけです
いつも心が囚われるのは所有しておる安心より
それらを手放す事が怖いという恐怖
したがって、貴女が将来に感じている限界も勝手に作り出した妄想
失敗が怖い
成果の成長が止まるのが怖い
だから何もできないだけです
いざ行動を起こし始めると
日々やるべき事はひたすら目標の為の問題の解決の繰り返しに変わります
行動し始めると
心配事などしている暇はないものです
自分の事を
心配しているという事は
脳も手も止まっているという事です
これじゃ生きてる時間がもったいない
やりたい事がある
これがどれだけ稀な事か
恵まれた事か
貴女はまだご存知ないようです
合掌
人のために
そもそも仏教では、損得で物事を判断しませんし、どんな環境にいても、幸せを感じられる生き方ができたら、一番良いわけです。
自分自身のためであり、人のためになることであれば慈悲の心で充実した生活が送れるのでしょう。
刺激を求めてというのか、向上心があり良い仕事がしたいと願っているのか、お金稼ぎたいからというのか、理由はさまざまでしょうが、あなたが後悔したくないと思い挑戦する勇気があるのかどうかということもあると思います。
こうした方がいいとは言えません。どんな道を選んでも、人のためになることを是非してください。自分自身が救われますから。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
何度も繰り返し読ませて頂き、心にゆっくり沁みました。
邦元様
「自分自身のためであり、人のため」
両立することが出来るなんて、今までの自分には出来も考えもしない事でした。
ですが、そうなれば、幸せもループのようにどんどん高まっていくのかなと感じました。
これからの人生は、そんな風に幸せなエネルギーを発する人になりたいですし、なれるように勇気をもって挑みます。
丸山晃俊様
怖いと思う理由は何だろうかとしばらく考えてみましたが、仰って頂いた通り、手放すことや失うことなのだと思います。そしてその基準も「思い込み」の価値観に大きく影響されていると気が付きました。
不安も恐れも否定せず、でも囚われず、やりたいことのある幸せを大切に頑張ります。
貴重なお時間を割いて頂き、温かいお言葉を本当にありがとうございました。
心がとても穏やかになりました。