何を信じればいいのか
私は、自分が正しいと思い込んでしまうのがこわいと思っています。
もし、正しいと思って招いた結果が、批判されたり誰かを傷つけたり、間違っていたりしたらと思うと自信が持てません。
いつも正しい答えが何か、誰か示してくれないかと願って、物事を自分で決められません。
自分の中ではっきりしない理想像のようなものがあって、それを求めているし、常に失敗を恐れています。
性格を分析したサイトなどを見て、自分に当てはるネガティブな記事を見ると、自分がダメな気がして、一人でぐるぐるしてしまいます。
どうすればこの思考や気持ちを変えることができるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を信じるために
ご相談ありがとうございます。
例えば今、貴女がこうしてご相談くださった内容についての回答を、私なりの見解で文章にしたためたのですが、毎回この段階は迷いと緊張と葛藤にまみれ、そして何度も推敲を重ねて仕上げています。
それは、お悩みやご質問を頂いた方に対して正しい言葉を返せているのかどうか、むしろ間違っているんじゃないかと、いつも心配なのです。
でもそれが誰かの、または自分のためになるのなら、なると今思えるのなら、今ここで行動しなくては必ず後悔すると思って、いてもたってもいられない気持ちになり、手が動きます。
しかし、それに対する反応は場合によって様々です。喜んでいただける時ばかりではありません。全くの無反応だったり時には刺々しい言葉をいただくこともあります。
それでも我が心への正直さを貫いて、目の前の「悩める人」から逃げず、等身大の自分で接することができたのなら、それで良いのだと思っています。
他人事で生きているのではありません。結局は皆「自分事」なのです。
ですが「人からどう思われるか」という妙な物差しが常に横入りしてくるので、基準がどうしても「他人」になります。でもそれは何処まで行っても想像の産物で、現実との乖離を発生させます。ここからいわゆる「悩み」も湧いてくるのです。
貴女の気持ちをかき乱すその心の中の「他人」は誰しも、貴女の人生の責任を負ってはくれません。
だから、貴女が貴女自身をごまかさず、納得できる人生を送れるように願います。
自分を信じて行動したのなら、たとえ失敗しても後悔しない、いつかそう思えるように、正直なその気持ちを大事にしてあげてください。
質問者からのお礼
まだ難しいことだと思いますが、そのような意見もあるのだと心の中に留めておきたいと思います。
回答ありがとうございました。