仕事続けたいけど、精神的に疲れます
おはようございます。
多くの質問ある中で、ご縁をいただき、ありがとうございます。
私は、今年の3月に無事に定年退職を迎え、4月よりパートで13時まで働かせてもらってます。
今回、職場も忙しいのと上司の提案で1日勤務の嘱託になりそうです。
定年退職して、勤務させてもらえて、有難いと思っています。
今回の質問は、私の気持ちの持ち方ですが、周りの人との関わり方です。職場内での問題や課題をみんなで話している時に私は、中に入っていいのか?どこまで関わっていいのか?
変に関わっても、退職してるくせに!と思われはしないのかな?とか、どうせ私なんか…と思ってしまい、中に入るのを躊躇してしまいます。
仕事よりも、そっちの方で疲れてしまい帰宅するとグッタリします。
私は、まだまだ頑張りたいと思ってるために、そんな気持ちが出てくるのかなとも思います。
それに、やっぱり年よね〜って思われたくないのもあり、頑張って働いてます。
もう、退職してるんだから頑張りすぎなくてもいいのかな?ボーってしてる所もあっていいのかな〜と思ったり。
退職し、現在パートの私の周りの人との関わり方について教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
間髪入れない 童心のことば
人間は条件付けが起こると行動一つにもためらいが生じるものです。
子供をご覧ください。
相手を選ばず、スッと言葉を発する。言われた側の大人も普通に答える。
大人になっても子供になっても同じもんです。
無条件の会話こそ、最もスムーズです。
誰もあなたの事情や立場に条件付けなんて付けてませんし、あなたが持っている「相手から好悪漏れてしまったらどうしよう」という条件すら相手にはないのです。それよりも相手は今の自分の職務をスムーズにこなしたいだけ。
それができなければ、むしろ条件付けを利用・活用することです。
私は今はすこし自由な立場としてこの場においていただいている。
精神的に負担も少ない分、現場の若い人たちが楽できるように、精神的にも負担を取り除いてあげられるようにしてあげよう、と念ずることです。
あらゆる職務はお役立ち、ケア、サポート、おてつだい、はたらき、作用、ことを為すためにあるのですから、相手に喜んでもらえることであれば仕事であってもなくてもわが為すことによって相手が助かる事実です。
仏・菩薩・人間世界のルールに縛られなくなった人は、間髪入れず、即、です。
参考になるかわかりませんが、私の尊敬する師匠の一人は旅先でも見知らぬ人にひょいひょい話しかける人でした。エレベーターの中、待っている間、いきなり話しかけるのです。
すると相手も普通に話し始めるのです。
人間、構えのない姿勢が相手と誰とでも話し合える働きになるのでしょう。
敵意のないこと、相手を良くしようとしてあげる姿勢。
声、表情、雰囲気、態度。人間お互いわかるのでしょう。
これもご参考までに。昨日たまたまSNSで見ていた動画ですが、北朝鮮の金正恩と若い男性が仲良く写真を撮っている動画がありました。あちらの世界では将軍様に失礼なことをしたら後々、大変なことになるでしょうが、その若い男性は金正恩に対してものすごく好意・好感を丸出しにしていて金正恩もそこまで自分を慕ってくれているその男性に対してはまんざらでもない、という姿勢で一緒にツーショットで写真を撮っていたのです。
あなたに好意を丸出しの人、むき出しの人や敵意が全くない人であればあなたもスッと関われるはずです。布施をするとは笑顔、やさしさ、気遣い、配慮、さりげなさ、どんなことも布施です。自分も救われ、相手もたすかることです。ほな、どう転んでもよい一日を。
質問者からのお礼
丹下覚元様、お礼が遅くなり申し訳ありません。
私の質問に対して、頂いたお言葉に凄く納得しました。
今後、頂いたお言葉をいつも忘れずに勤務したいと思いました。
悩んでいた事がスッキリしました。
月曜日から心新たに勤務します。
ありがとうございました。