私が今思っている事を聞いてください。
昨日は受け入れられなかった言葉が今日は受け入れられる。自分の器の小ささを感じる。
気持ちにもある程度あそびを持たせて置かないと自分が苦しくなる事を学びました。お坊様の言葉はまるで漢方薬のようだ。(昨日オンライン個別相談をしました。)でも彼女達と私はもう別々の人生を歩くと私は決めています。
ここからは私の思いです。私は怒っているのではなかった。悲しかったのだ。「荒んでいる知人にも大変な事があったのはうすうす聞いて知っている。でも私は人を救う事はできない。ただただ悲しいのだ。でもこう思えるのも完全に彼女達をシャットアウトしたからだと思う。やっぱり荒んでしまったからといって人に八つ当たりをするのはルール違反だと思うから。
聞いてくださりどうもありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お聞かせ頂きました。
拝読させて頂きました。
あなたの思いお聞かせ頂き有難うございます。
離れてみないとその人たちの立場や言い分を冷静に見つめられないですよね。ですからあなたがそのように悪縁から離れたことはとても良いと思います。
あなたがおっしゃるようにそのように人を傷つけたり暴言を吐いたり見下したりするのには様々な理由があり経緯があるかとは思います。過去いじめや嫌がらせ行為を自分が受けそのような目にあった為に人をおとしめたり傷つけなければ自分が維持できないという方々もおられるでしょうし、人に暴言はいてストレス発散しなければやってられない毎日いきてられないという方々も沢山おられます。
とはいえそのような悪意や悪言や悪行は罪です。大変愚かなことです。その罪はその時点から行った者に戻っていきます。人が離れてしまう、縁を切られてしまうのも一つの報いです。そのことに本人が気がつかなければ人は離れていく一方です。逆に悪縁が寄ってきます。人を傷つけおとしめようとすることばかりを考えて行う人ばかりが集まっていくのです。そうして悪縁が悪縁を呼び悪業が悪業を呼び罪が重ねられていきます。それが地獄というものです。
あなたはそれに気がつかれたのではないでしょうか?
仏様には慈悲があります。その字の通り「悲」です、悲しみです。愚かなことを考え悪言を言い、悪い事をしてしまうそのような愚かな罪深い私達をそれぞれ慈しみ悲しんで下さるのです。そして全てのものをお救いなさって下さろうとなさっているのです。とはいえその様な仏様の慈悲にも一切聞く耳を持たない、或いは一切気にしない受けとらない方々もおられるのです。その様な方々を仏様は愚かな我が子の様に悲しんでおられるのです。
あなたのお悲しみもそのような仏様の悲しみに通じているのではないかと思います。
あなたがこれから悪縁を絶ち、良縁に結ばれて安心して毎日をお過ごしなさり、善きことを思い善き言葉を使い善き行いをなさっていかれ心清らかに幸せに生き抜いていかれます様切に仏様に祈っております。
お疲れ様でした
話ってほんと不思議なんですけど、話すと手羽慣れていくのですよね。そしてそのうちに聞く耳ができてくる。
聞く耳がある時は、素直に話がストンと落ちる。
入らない時は全く入らない話も、なぜか今ならわかるということがあるのですよね。
お話を伺うことならできますので、またどうぞ。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma 様
お読み頂きどうもありがとうございます。
私は彼女達と今後接点を持つことは無いです。絶対に。金輪際。
物理的に距離をとって遠くから思った事を書きました。心の整理がやっとできました。
どうもありがとうございます。
邦元様
どうもありがとうございます。
また是非宜しくお願いします。
南無釈迦牟尼仏