母を死なせたという気持ちが消せない
先日、10年間介護し続けた母が旅立ちました。
朝目覚めた私が起こしに行ったときにはもう息を引き取っていました。
悩んでいるのは、「母を死なせてしまったのは私だ」という思いについてです。
亡くなる前日、訪問看護師さんと二人で見ていたときやや微熱気味であったこと、やたら眠たがること、受け答えがぼんやりしていたこと、今思えばいくらでも様子がおかしかったことに気付けたはずなのに…
依然もっと高熱が出た時は、しっかり朝まで寝ずに様子を見て元気になるまで頑張ったのに、どうしてその時は夜の見守りをしなかったのか。
母を寝かせた時平熱に戻り他のステータスも問題ない値だったことに油断して、友人とオンラインでの会話が楽しくて、「安定してたし大丈夫だろう」と一通り会話したあとそのまま様子も見ずに寝てしまったことが今でも悔やまれます。
あの時ちゃんと油断せず朝まで起きてつきっきりでいれば絶対死ななかった、
見に行かなかった私が母を殺してしまったんだと後悔する気持ちでいっぱいです。
思えば、最初に倒れた時から状態が悪くなるたびにずっとこうしたらよかった、ああしたらよかったと後悔を繰り返しているのに、
私はなぜ学ばないのだろう、なぜ油断してしまうんだろう、大好きな母のためのはずなのに自分が楽しい気持ちを優先して母を見殺した親不孝者と、怒りの気持ちも沸きます。
周りは交代制でもない一人の人間が24時間見守り続けるのは大変なことだ、しょうがないと言ってくれますが、介護のために仕事も辞めたのですから本当はしょうがなくなんかないだろう、ちょっと様子見だけでもしていたら助かったはずなのにとどうしようもない気持ちになります。
正直に言えば母のためにこれからの人生もささげるつもりだったのもあり、後を追ってしまいたい、でも私にはまだ父も兄もいて、その二人に同じ苦しみを与えるのかと思い踏みとどまっていますが、
この気持ちが時間で解決できるのだろうかと、目の前が真っ暗な状態です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
倶会一処(くえいっしょ)の世界があります・・・💜。
〈10年間介護し続けた母〉・・・凄いですね~。お疲れ様でした。合掌 南旡阿弥陀仏
小生は「認知症」の実母の介護・・・たった4ヶ月で「音を上げました・・・😢」。
それに比べれば、10年間も・・・頭が下がります。
〈こうしたらよかった、ああしたらよかったと後悔を繰り返している〉・・・近しい肉親の「看取り」をなされた方は、みんな、大なり小なり、この思いにとらわれます。
でも、後悔すること、一切ありません。お母様も「有り難う。よく尽くしてくれたね」と悦んでおられます。(決して「お慰み」でなく、仏様がお認め下さっています)。
貴女は「納得」できず、「あなたなんかに、何が分かるの!」とおっしゃるかもしれませんが・・・💦。
ちなみに、小生は、信じます。なぜなら、小生たった4ヶ月で「音を上げ」グループホームにお願いして、6年ほどお世話になり亡くなりましたが、それでも「大変」でしたので・・・。
なお、先師のお言葉に❝人間の八苦の中の、父母妻子との「愛別離苦」、これ最も切なり❞とあります。しかし、親鸞聖人は❝必ず、必ず、浄土にて待ちまいらせ候べし❞とおっしゃって、極楽浄土で「また逢える」―倶会一処とお経典に載っています―と、お手紙に書かれています。
貴女も、いつか死んで「お浄土」に往きます。そして、お母様に会えます。キットお母様が「本当に有り難う」と言ってくれます。間違いありません!。
改めて、合掌 南旡阿弥陀仏
質問者からのお礼
>>大塚芳明様
ご回答ありがとうございます。
母はまだ若いのに歩けなくなっても、食べれなくなっても、泣き言もほとんど言わず私や手伝ってくださる方々に感謝の気持ちをいつも伝えてくれる優しい人でしたから、私も辛いよりも母と共にいれることが嬉しかったくらいで、何にも凄くないのです。
おっしゃる通り、至らなかった私がお浄土に行けるのかはわかりませんが…
小さいころから不出来だった私を産んでよかった、かわいい娘だと褒めてくれた母ですから、きっといつかお浄土で再会できたら、私を責めずにめいっぱい褒めてくれるだろうなと想像できました。
後悔の気持ちはどうしても消せないですが、優しい母が愛していた父や兄を悲しませないためにも、なんとか自分を粗末にせずに前を向けるように努めてみようと思います。
重ね重ねになりますが、お言葉をいただきありがとうございました。