死について考えてしまいます。
こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。
今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。
そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。
「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。
そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。
よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。
それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。
(それでも涙は出てしまいますが…)
お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。
お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
あなたがそのようにお感じなさったりお考えなさるのはもっともなことかと思います。大切な方がお亡くなりになられたことで死についてお向き合いにならなければならなくなってどうしても大切な方の死を恐れたりこれから先を不安に思ってしまうのは普通のことですからね。
あなたはそれだけ人の生きることや大切な方と一緒に生きることを真剣に考えていらっしゃるということでもあるのです。
とはいえどなかなかその死を受け入れることなど私達にはできないものなのです。
ですからあなたが死大切な方が亡くなってしまうことを考えてしまうと泣きたくなってしまうのは自然なことなのです。ですからそういう時にはゆっくりと泣いていいのです。涙を流すことであなたの心も洗われていくものですし、気持ちも少しずつ落ち着いていくものです。
そして私達は誰しもがその死を迎えることになりますけれどもその死によって終わるわけではありません。大切な方々とのつながりご縁はこれからもずっと続いていくのです。
あなたのことをご先祖様方やお祖父様お祖母様はいつも優しく見守り続けていて下さいます。あなたのことをこれからもずっと支え励まして下さいます。
私達は死をも乗り越えながら共に生きていくのです。そしてこのひとときひとときをつながりの中で共に生きているのですからね。
なかなか前向きになれない時も悲しみに暮れる時もありますけれどもあなたは決して独りではありませんからね。
どうかこれからもずっと大切な方々とのご縁の中で素直に誠実に生きて下さいね。
あなたのことをいつもお祖父様お祖母様そして大切な方々が見守り共に寄り添っていて下さいますからね。
あなたを心より応援してますね、またあなたのお気持ちをお聞かせ下さいね。
死の正体を知る
ゆかさま
死が怖く、不安であるのは仕方のないことであります。
しかし、その正体を知れば、枯れ尾花的に怖さ、不安もなくなるものとなります。
むしろ死は高度な無上瑜伽タントラの密教行者にとっては待ち遠しく歓喜をもって迎えるものとなります。
死の光明に近接できる絶好の機会を得られるゆえに無上瑜伽タントラ的には「大楽」(仏教的な意味での楽で、世間で使われる楽とは異なります)とさえ表現されます。
まあ、難しいことは置いておいて、その正体をどう捉えていくかとなりますが、下記の著書が参考になるかと思います。
是非、ご関心をもって頂けましたら有り難いです。
チベットの生と死の書 (講談社+α文庫)
ゲルク派版 チベット死者の書 (学研M文庫)
秘密集会タントラ概論(法藏館)
川口英俊 合掌