人間性を疑う人物との接し方
今年の4月から同じチームに異動してきた新卒男性社員Aとのコミュニケーションのとり方についてです。
私が指導係(中途3年目、女性)をしていますが、敬語ができない、話を遮る、教えてる途中に雑談をふってくる、社内の人を「アイツ、コイツ」と言う。
など、最初は可愛いもんかと思っていましたが、粗暴な言葉使いに最近疲れてきました。
そんなある日、休憩スペースで立話をしていたところ、Aが、高校を留年した話をし出しました。
当初は単位が取れなくて、、と言っていましたが実際は、体育の授業中、クラス全員の財布を盗んだことがばれて自宅謹慎になり、単位が足りなくなった、とのことでした。
まずその時点で驚き、さらに、
A「その中にオタクみたいなやつがいて、亡くなったおじいちゃんにもらった財布だから中のお金は3千円だったけど、1万円弁償しろっていわれたんすよー!めっちゃキモくないですか?!」とのこと。
2年前に大好きな祖父が亡くなり、毎日お仏壇でお勤めをあげている私は、頭がフリーズしました。
会ったことがない人種すぎて、それからAの人間性を疑い、そこから笑えなくなってしまい、彼の顔を見ることができなくなりました。。
しかもその話を採用の際に面接官に伝えたが、採用されたそうで、会社への不信感も加わりダブルパンチ状態です。※高校は警察沙汰にしなかったそうです。
過ちは過去のことと割り切った方がいいのでしょうか。全く反省せず武勇伝のように語る彼を見ているとイライラします。
どういうメンタルで接したらいいのか、迷子状態で、そういった過ちを犯した人と、今後どう接したらいいか、ご意見というかご感想をお願いいたします。
香川県生まれ。30代既婚。今は都内で働いています。 父方の実家は真言宗。母方の実家は浄土真宗。実家が真言宗でお正月は善通寺のお大師さんに参っております。 1番尊敬する人物は母方の祖母は浄土真宗です。私が生まれた時から毎晩お仏壇にお供え、なんまんだぶなんまんだぶと、お経をあげています。 籍は父方ですが、母方の実家で育ちましたので、祖母があげる南妙法蓮華経を毎日聞いていました。色々な宗派はありますが、私もご先祖様を大切にする、仏教の考えが大好きです。 主人は生まれた時から、キリスト系の新興宗に入団していましたが20歳の時に棄教したため親族の葬儀などは参加できません。色々我慢させられたためか、束縛を嫌う自由な性格です。お寺や神社、お墓参りも、禁忌を犯しているようだと言っていました。 20年経った今、仏教に触れ、お経をあげたりはしませんが、永久も形あるものはないという仏教の教えには共感しだしたようで、高野山への参拝などはついてきてくれます。
人の言うことに過敏に反応してしまうことがある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
宇宙人という言葉。
ご質問拝読いたしました。
愚僧も読んでいて、
ビックリしました。
窃盗は犯罪です。
本来は封印しておきたい、
過去の大過ですよね。
それを自慢げに話す、
事実かどうか確認する
術がないにしろ、
言動そのものが異常です。
すらすら話すということは、
本件について、
反省と贖罪がないと、
みるべきでしょう。
罪の意識が無ければ、
また同じことを、
繰り返す可能性が、
あります。
まずはご自身を守ることです。
お財布や貴重品は、
絶対に手放さない。
また、
こういう話をしながら、
採用されたということは、
何らかの特段の事情が、
あるとみるべきかもしれません。
一般にこうした人材は、
採用されませんし、
遡って、
高校時代に財布を盗みながらも
自宅謹慎で済んだというのも、
理解し難いですね。
退学相当かと。
彼がこうしたことを、
披瀝すことができるのは、
特段の関係、
縁故があるとみるべきでしょう。
彼と会話するときは、
必ず録音するとか、
防衛策は必要かと。
彼との接し方ですが、
極力関わらない。
できれば最低限度で。
冷静沈着に落ち着いて、
言動に注意する。
しばらくは、
お辛いでしょうが、
我慢するしかないかと。
明けない夜はございません。
ご多幸をお祈りします。
非道な人間性に導いた背景
百万歩譲ってその人の好い所を探してみる。
仮に褒めるとするならば、正直に生きているとも言えましょう。育ってきた環境の中で周りの人たちも「そういう人たち」が多かったのかもしれません。サバイバルでタフに生き抜くためにはそういう生き方を選択せざるを得なかった。穏やかに暮らしている人たちにとって害悪です。先日も近所で暴走族がバイクを夜中にブンブン音を立てて走っていましたが、いつの時代にもそういう人たちは必ず存在しますだからこそ、そういう人間性が丸くなっていくためには何が必要か。そこを考えて社会全体でアウトプットしなければなりません。それがジャンルなしの純粋な公の宗教性であり公の人間性教育です。
あなたは幸いに彼と違って「そういう人でない」人たちに囲まれて恵まれて育ってきた。恵まれなのです。
人間の根底には恐怖心があり、それが悪事や悪意に向かわせる。
自分のステータスを保持するためにそういう態度に出る。
実際にそういう国があるでしょう。
それを本人は認めることができる人は本当に強くなれますが、そこまでの人は少ないからこそ仏教精神などの人間を善導する本音の学問を通して自他ともに害悪のない人間性を持った人が増えていくべきなのです。そういう人ほど自分の人間性を改めないからです。今の世は宗教色カラーはあまり出せない時代なのでスカッとジャパンTVのような宗教色のないもので人間性を高めるような教育・共通認識が必要。
だからこそ、そういう人間性を培った背景にも思いをはせる。
「どうしたらこんな哀しい非道な人間性になるのか?」世の中にはビックリするようなひどい人間性に陥っている人たちが無数に存在します。
それがわが身可愛がりのエゴや我欲・我愛の世界。ふてぶてしい態度の人は自分を守るために強気に出たり、偉そうにする。弱い犬がむやみに吠えるようなものです。SNSで他人の投稿にいちゃもんをつける輩の活動内容や心理的方向性を深く読み取るとその根底には恐怖心があるということが見えてくるものです。だからウソの正義で相手を潰そうとする。デカい態度になって自分が周りから尊敬されるような人間性ではないのに、チカラや権力を手に入れて反論する相手を制圧しようとするのです。だからこと、あなたも宗教心や見識をもって生きる。真の多様性・共存・共生とは、可能な限りそういう哀しい人間性を互いに善意に導きあうことだからです。