劣等感と上手く付き合うには?
お世話になっております。
先月に初めてこちらで相談をさせていただき、辛くなる度に頂戴したご回答に助けていただきました。ありがとうございます。
転職活動で路頭に迷いながらも、ご縁があった企業にて明日から社会復帰する事となりました。不安もありますが、頑張ります。
改めてお坊さんにお聞きしたいのですが、仏教では劣等感とうまく付き合う考え方というものはございますでしょうか?(劣等感も煩悩になるのでしょうか)
私は大学を出ていないこと、非正規雇用で働いてきた事にコンプレックスがあります。
20代も終わりを迎え、転職回数も4回を超えてしまいました。やりたいことは諦め、できることを仕事に選んでいます。
私なりに真面目に働いてきたつもりですが、人から否定的な事を言われたり、就業先で非正規雇用であるが故の差別を受けたこともある為、年月を重ねて自分の働き方に自信が持てなくなってしまいました。
学歴があり、正規雇用でバリバリと働き企業に長く必要とされる方を前にすると、自分には無いものばかりで苦しくなります。
特別な資格も持っていない為、更に歳を重ねた時に何も残らない事が怖いです。
新たな就業先も非正規雇用となるのですが、こういった劣等感と上手く付き合いながら、胸を張って働きたいです。
長くなり申し訳ありません。
仏教の考え方で新たな角度から物事を見られるようになりたく、ご助言をいただけますと幸いです。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
妄想と事実あなたはどちらを大切にする?
新たな職場とのこと気疲れすることと思いますがどうぞ体調崩さない程度に手を抜いてくださいね。
さて、劣等感との付き合い方とのこと。劣等感だけでなくさまざまな思いが頭の中なのか胸の辺りなのかモヤってするわけですよね。そしてその思いを握りしめて追求すればするほど苦しくなるのですよね。
これらは全て妄想(もうぞう)といいます。思いや記憶は幻のような作り事なんです。
事実に目を向けると、目の前には過去は一切ないはずです。でも思いの中にある。と言いたいと思いますが、「あると思っているだけ」なんです。
過去も未来もないのです。今、目の前のことが事実としてあるだけ。音があれば音があるだけ。今外で雨が降ってしますが、ポタポタポツポツとしているだけ。そこに劣等感なんてないのです。「バカ!」と言われても「ば」「か」という音があるだけ。そこに意味を持たせ認識したことで頭の中で問題にしたりしなかったりしているのは自分自身なんです。
隣の席の人がしかられても問題にならない。でも自分のことだと思うと問題になる。
そんな働きをしているのです。
ご自身の「眼、耳、鼻、舌、身体」の働きのまま今の事実に触れてください。そこに好き嫌い、優劣、損得、白黒、善悪、何にもないでしょ。
そうした妄想と事実を区別してどちらを宝として生きていくかで、豊かな生活が送れるかどうかがきまります。
質問者からのお礼
円通寺 邦元様
お忙しい所、ご回答並びにお気遣いいただきありがとうございます。
ご説明がわかりやすく、物事はシンプルに捉えれば良いのだと勉強になりました。
仏教の考え方ははっとさせられる事が多く面白いです。
劣等感の他にも、人間関係において人の気持ちを勝手に想像しては気疲れしてしまう事が多いのですが、それらも妄想ですね。
改めて、目の前にある物事に集中する、側にいる人を大切にしたいと思いました。
肩に力を入れすぎず、頑張ります。