感謝と罪悪感が混在します。
お世話になっております。
単刀直入ですが、とにかく罪悪感が強く気を遣いすぎと言われる自身の性格にたびたび悩む事があります。
私は人から何かをしてもらう際、それに対して極端に強い罪悪感や申し訳なさを感じます。素直に「ありがとう」で済むはずの所を必要以上に「ごめんなさい」と思ってしまいます。身内や親友、恋人など自分にとって身近な存在になればなるほど、その傾向も強くなります。自分から人を頼る事もかなり苦手です。
他者から好意を掛けてもらえていると分かっていても尚、受け取る事に罪の意識を感じる、そんな自分である事自体にも罪悪感を覚えます。
先日、かれこれ20年近くの付き合いがある親友と会いましたが、いつも仕事終わりに私の職場まで迎えに来てくれます。その際「毎度手間かけて本当ごめん」と咄嗟に口をつき、彼女から「なんで毎回謝るわけ?今更そんな気遣われると逆に疲れるからやめて」と返されました。親しき仲にも礼儀ありとはよく言いますが、私の場合は度が過ぎているのか、相手から「気を遣われすぎて疲れる」と言われる事はたしかに多いです。
身内に対しても同様に些細な事でも謝る事が頻回で、「気にしすぎ・気を遣いすぎ」だと言われます。ただ、自分としては「身近な存在だからこそ、できるだけ手間は掛けたくない、自分の前でくらいは楽になってほしい」との思いに従って動いているだけです。気遣いという感覚ではなく、むしろ自己中心的な考え方で申し訳ないという罪悪感に近いです。それでもやはり周囲にとっては、過度な気遣いでしかないのでしょうか。
気を遣いすぎる癖を直すには「少しでいいから我儘を自分に許す事が必要」と聞いた事がありますが、上記の通り、自分はすでに十分すぎなほど我儘を許してもらっている気がします。これ以上は相手に悪いと罪悪感が生じてしまいます。強いて今以上に我儘を言うなら「たとえ微々たる事でもいいから自分に協力させてほしい」と思いますが、この考え自体が誤っていますか。
他者に相談する事も罪悪感からあまりできない質ですが、代わりに「思いきり泣く事を自分に許す」事は覚えました。合わせて、ここハスノハでのみ何とか気持ちを打ち明ける事もできています。
「ごめんなさい」より「ありがとう」の気持ちで、素直に相手の好意を受け取れるようになりたいです。そのために必要な発想転換の方法を教えて頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「有り難う」とっても良いですね
あまりにも気を使いすぎると、相手に気を使わせてしまい、逆に相手を疲れさせたり時には怒らせてしまう事にもなります。
あなたが気を使うというのは、相手のことを想像しているようでいて、実は自分のことを可愛がり、守る事ばかりしているのでしょう。
人を頼ったり甘えることは悪いことですか?
やってくれるという事頼んだら悪いのですか?
謝るのは相手を傷つけた時、嫌な思いをさせてしまった時、困らせた時でいいのです。
基本的には物事に善悪はありません。相手の気持ちを本当に考えるならあなたが言うように「ありがとう」でいいのです。
次に何かあったらその時にはあなたがやってあげればいい。
相手が良いということは素直に聞くことです。勘ぐりは禁止です。
あなたの耳の機能に任せるのです。あなたの耳は勝手な想像はしません。素直に聞くことのできるあなたの耳に任せてみましょう。余計なごめんなさいは言わないですみますよ。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
たしかに、自分が考えていた『気遣い』というのはうわべだけで、実際はむしろ自己本位に近い解釈をしていたのかもしれないと思い当たりました。
相手に「良い」と言ってもらえるのであれば、それ以上は深く考えすぎず素直に受け取る事、「手間をかけてごめんなさい」ではなく「次は自分がお返しできるように…ありがとう」という考え方の転換を心がけたいと思いました。少しずつ実践できればと思います。
ご回答ありがとうございました。