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アトピーで狂った人生について

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

幼少時からアトピー性皮膚炎に苦しんでいます。
ステロイドの使いすぎで左右の目が緑内障になり、手術も行いました。
そのほか、白内障も起き、右目に眼内レンズが入っています。
精神的に病み、精神科にも通ってうつ病にもなりました。(これは完治しました)
現在はステロイドを塗らない治療を行っていますが、40すぎて仕事はアルバイトのような感じで、かゆみに追われながら生活しています。
最近、お金がなくなってきて、皮膚科に行けなくなってきてしまいました。
それでも緑内障の眼圧調整のため眼科に通わねばならず、医療費をねん出するのも、大変です。
普通にしていれば痒みがちょっと出る、掻いてるくらいでなんとか生き延びられるものの、ちょっとストレスがかかるとすぐ悪化してしまい、急激に悪化してまともに仕事が手につかない状態になり緊急入院したりするので、3-5年周期で訪れるアトピーの悪化にそれまで積み重ねてきた人生設計みたいなものが全部崩され、
病院に戻されるようなことを繰り返しています。
齢40を過ぎて、普通の方々は人生の折り返し地点と聞きます。
アトピーに振り回されてぐしゃぐしゃになっている
自分の人生は一体何なのでしょう。
自分が何をしたら幸せなのかわからず
目に見えない自分の理想の姿に向かって
ただやみくもにあがいているだけの人生を振り返ってみて
なんのために自分がここまで生きてきたのか、そしてこれからなんのために生きていくのか。わからなくなっています。
お坊様、どうか教えてくださいませ。私のような人間にとって、生きる意味とは何なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不動の拠り所と出会う

こんにちは。

大変なご苦労を重ねておいでのようです。

「3-5年周期で訪れるアトピーの悪化にそれまで積み重ねてきた人生設計みたいなものが全部崩され、病院に戻されるようなことを繰り返してい」るという部分からは、「人生設計」がままならず、表題のように「アトピーで狂った人生」と表現せざるを得ないあなたの苦悶が伺えます。大変お辛いこととお察しします。

ただ、「自分が何をしたら幸せなのかわからず 」という、自分の「幸せ」とは何かという人生自体の意味を問う意味で言えば、これは病気の有無に関わらず古今東西を問わず普遍的な問いのように見えます。

あなたは、「普通の方々」と比べて「アトピーに振り回されてぐしゃぐしゃになっている自分の人生は一体何なのでしょう」と問うています。他人との比較の上での「幸せ」「人生」を考えています。

人間だから、苦しみ、悲しみの中にあるから、人と比べてしまうそのご心境に無理はありません。しかし、「幸せ」「人生」とは、決して誰かとの比較の上には決して成り立たないのです。

よしんば一時的に成立したとしても、それはとても不安定です。
コロナを始め社会情勢の変化、人間関係の変化、身近な人の病、死等々によって比較の順位は常に相対的なものとして入れ替わります。つまり、比較には「幸せ」「人生」はないのです。

だから、仏教は決して色褪せることのない、不動の拠り所を自分の「幸せ」「人生」にします。南無、とは拠り所を、自分にではなく仏様にする表れです。
南無阿弥陀仏
南無釈迦牟尼仏
南無大師遍照金剛
等々です。

比較する自分、を拠り所にする限り「幸せ」「人生」は常に揺れ動きます。
比較しないでもいい、どんな事があっても仏様が私と生きてくださっている。それだけで「幸せ」「人生」の問題は、再び問う必要がないのです。あなたの病が小康状態のときも、重篤なときも仏様とともにある「幸せ」「人生」に変更はないのです。

「なんのために自分がここまで生きてきたのか」
仏様に出会うためではないですか。

「これからなんのために生きていくのか」
仏様とともに歩んでいく人生を謳歌するためではないですか。

仏縁あらんことを願っています。

追記
あなたは上記の文章を読んで、仏教を「無理やりに」「幸せと思い込」むための方法と理解したのですね(字数制限)

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

お話ありがとうございます。せっかくのお話ですがちょっと伝わりませんでした。
生きることはそれぞれに厳しいのはわかりますし、幸せは比較の上には成り立たないのもわかります。ただ、不幸だと思う人は不幸になってしまうから自分が手に入るもののうちで無理やりにでも自分は幸せと思い込め。と言われてる気もしました。それが無理にならないために仏様に救いを求めよと。では、仏様とはなんでしょう。
仰せの通り幸せに合理性など存在しないのかもしれない。今アフガニスタンに住んでいる方は悩む間もなくとにかく生きるのに必死かもしれません。かといって人生は「不安の少ないより良い生活」という見えないパイを奪い合う生存競争ような側面もあります。
意味なんて考えている暇があれば目の前のことをやれというのも一つの答えなのかもしれないですが、そのように割り切れない自分もいます。
生きとし生けるものはみんな年を取る。年を取ればその年なりに心身が衰え、鈍感になり、つらいことも楽しいこともなくなっていくのでしょう。人生百年と言われるような時代ですが、アトピーでは死ねません。死ぬのは怖い、かといってどう生きたらよいかもわかりません。私のようにみなさんがならないように、それぞれの幸せを見つけられることをお祈りします。

追記ありがとうございます。仏教や、お坊様を誹っているつもりはありません。私の頭が悪いのか、理解が難しかっただけです。誤解のなき旨お願い申し上げます。
無形の何かに価値を見出せたとしても、それが永続する幸せかというと、わからないのです。人に喜んでいただくのは好きで、ボランティアをしていたこともありますが、喜んでいるときにすらかゆみがあり、苦しく抱えて生きるのは辛く、頭を抱えてしまうだけです。長文失礼いたしました。

誹謗中傷をしたつもりは全くございませんが、申し上げてきていることは純粋に事実ばかりであります。アトピー治療のために稚内まで行ったこともあり、帰ってきたらぶり返したりと、理解できない人生を送っています。入院と退院で7回も仕事を変えたので、就職先がなく、今の会社にたどり着きましたが、ブラック企業であり、業務実態がなく、自分のしている仕事が誰の役にどう立っているか説明ひとつされず、最低賃金固定でただ食べるために生きるような毎日を送っています。人生に意味が欲しいのです。東北震災当時に石巻でヘドロかきのボランティアをしていたことがあり、そのころはとても幸せでした。痒くても誰かの役に立つことができたからです。今は仕事を辞めてボランティア活動を始めるような経済的余裕もありません。先ほどのおきもちも傷つけてしまったかもしれないと思ったのでなけなしの所からお出ししました。私は仏教が嫌いではありませんし、せっかくご相談に乗っていただいた和尚様を傷つけるような意図もありません。どうか誤解だけはないようにお願いいたします。

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