社会人としての生き方がよく分からない
社会人4年目の20代男性です。
僕は未だに社会人としての生き方ややり方がよく分からず、世間と自分の考えることがずれていて、どう生きていけばいいか分からなくなっています。以下の例を挙げます。
会社などの社会における場所では兵士のような態度をとれば良いと高校生時代の教師に厳しく言われ、実行しているが、面接ですら内定がもらえず、話にならない。兵士のような態度を取っているので、非常に真面目で勇敢な印象を与えているはずなのに内定が取れないのは一体どういうことなのか未だに分からず、納得いかない事態に陥る。
自分に非がなくても事故やトラブルを起こしてしまった時は「はい!すいません!」と謝るべきと教えられたが、大抵の人は悪いことをしても、謝罪会見もしないどころか謝罪すらしないので、社会人として失格と思ってしまう。自分だったら、ハキハキした態度と言葉で謝罪して人から'非常に真面目で誠実な人柄の良い社会人として申し分のない人'と思われて社会的に高い評価を得られるようなことをします。どうしてそういったことをしないか不思議です。高校生時代の教師からは、そういう態度と言葉遣いと礼儀をすれば、社会人としてふさわしい人材として褒められると言われました。
そんなに社会人として兵士のような態度や礼儀や言葉遣いをするのは社会的におかしいことでしょうか?
そうした方が事件やトラブルは起こらないというのにおかしいです。
高校生時代の教師には、耳にたこが出来るくらい厳しく言われたので、間違いないはずですし、今さら違うなんて戸惑いを覚えますし、高校生時代の教師に、社会人としてふさわしい人になるのに教えられたことが全くの嘘ということで訴訟をせざるを得ません。
社会のことを何も知らない高校生にどういう理由があろうが嘘を教えることは悪いことです。
お坊さんとしては嘘をつくことは誰であろうと許せないですよね?
だって社会のことを何も知らない高校生に社会人としてふさわしい人になるのに、嘘をつくなんて言語道断ですもの。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰も取り残さない
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちやお怒りもわかります。あなたがその先生にうそをつかれたと思ってしまうのも確かにそうかもしれませんよね。その通りにしてもものごとがうまくいかないのは先生のせいだとも思ってしまうでしょう。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
その先生の指導が正しかったのか間違っていたのか、正しいことを言っていたのかうそを言っていたのか詳細にはわからないです。とはいえあなたが今お仕事に就こうとする会社や組織が求める人材はその先生のおっしゃるようなものとはちょっと違っているかもしれません。
先生がおっしゃる「兵士の様な態度」はどうでしょうか?確かに「真面目で誠実な態度で勇敢な印象」は人に対して必要な姿勢かもしれません。「間違ったら誠実に謝ること」も大切かと思います。それはいつの時代でも人が他者に対して接する時にはとても重要な姿勢かとは思います。
引っかかるのが「兵士の様な」です。兵士とは戦場で戦う人達ですが、味方を守るという役割がありますけれども敵を殺すことも辞さないという姿勢です。であれば一旦敵と見做せば威圧的になり強権的になり暴力をふるい、相手のことを容赦なく殺すほどの態度を示すとなります。上官の殺戮命令が出れば否応なく間髪を入れずに相手を圧倒して進んで殺すことになります。
例えばですがあなたが面接する相手へ質問して、そのように兵士に変わる可能性があると答えられたらどうでしょうか?親密になろうとできるでしょうか?共に協力しながらお仕事をしていけるとお考えになるでしょうか?ちょっと考えてみましょう。
最近耳にする言葉に「SGDs(エスディージーズ)」という言葉がありますが、これは国際連合がこれからの人類の未来に向けて掲げている目標です。その一番の目標は「誰も取り残さない」ということです。つまり全て人類の誰も見捨てずに共に仲良く継続して生き抜いていこうとすることです。相争うのではなくて継続して共存共栄していこうという大きな目標を掲げているのです。その目標に対して少なくとも沢山の国家も多国籍大企業も賛同していますし、多くの国民や市民そして個人が賛同して進んで活動していこうとしています。
あなたが目指す社会や生き方も少なからず影響を受けていくでしょう、どうか目先の怒りや憎しみではなくおおらかに見つめて下さい。そして皆様と未来を生きて下さいね。
質問者からのお礼
解答ありがとうございます。
高校生時代に受けた指導はあまりにも時代そぐわない古すぎるものだと気付きました。
それでも前に進んで行くしかないと感じました。再度言いますが、ありがとうございます。