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大切な友人を失ってしまった

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有り難し有り難し 8

最近、ある男友達に告白されました。長年の友人では無かったのですが信頼出来て尊敬出来る友人でした。

告白を受けた時、今まで恋愛対象として見ていなかったことと他に好きな人いたことがあり戸惑いました。しかし、嬉しい気持ちの方が大きかったです。
他に好きな人がいると伝えお付き合いをすることはありませんでしたがその後も少しの間友人関係を続けていました。

その後しばらくして私自身の体調が優れない状態に他の人間関係の揉め事が重なり自分に余裕が無くなってきました。昔から自己嫌悪がひどくなると自分の事を大事に思ってくれる人に八つ当たりする癖があるのですが、そのせいでその友人にひどいことを言ってしまいました。
直接本人に言ったわけではなく、SNSに彼を傷つける事を書いてしまいそれを彼が見てしまった形です。「話していて楽しいのは向こうだけだからやり取りをしたくない」といったような内容です。

その後彼からの連絡がピタリと止まった事でその文を見られたことに気づき2日ほど時間を置いて謝罪をしました。しかし、結果的に縁を切られてしまいました。この件に関しては私が全面的に悪いので覚悟はしていましたが大事な友人を傷つけた罪悪感と喪失感は予想以上でした。

彼は最後まで私を責めることはなく「信頼していた人に裏切られて人を信じられなくなったから離れる。本当に好きだったし好きにならせてくれてありがとう。」と言っていました。

言葉が凶器になることも1度失った信用は元に戻らないことも分かっていて、友人や家族に伝える言葉には気をつけていたはずなのに、自分の自己中さのせいで過ちを犯してしまいました。後悔することも病むことも自分のことしか考えてないようで自分に憎しみが募ります。

彼はとても優しい人だから今も私なんかよりもずっと辛い思いをしてると思います。謝罪をする前に縁を切られなかっただけでも感謝をしないといけないとも思います。執着しても彼に嫌な思いをさせることは分かっているので自分の中でどうにか折り合いを付けようとしているのですが、ずっとモヤモヤして何も手に着きません。
罪悪感を抱えて二度と同じ過ちを犯さないことが私に出来る唯一の贖罪とは思うのですが、もう一度仲良くしたいという彼への身勝手な執着がずっと残っています。
彼の事もやった事も忘れるつもりは無いのですが、どうすれば心の整理が出来るのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

折り合いや贖罪、整理することの難しさとは

相談文を読ませていただきました。ぴのさんがSNSで「話していて楽しいのは向こうだけだからやり取りをしたくない」と書いた投稿を友人が読んでしまい、それに失望した友人から縁を切られてしまったのですね。

これについては、ぴのさん自身も謝罪をして、自分に非があると反省しておられますし、取り返しのつかないことをしたという申し訳なさが、相談文からはよく伝わってまいりました。

しかし、それでも「もう一度仲良くしたいという」「執着がずっと残っています」との事。

それがどれほど身勝手なことか分かっているからこそ、自分自身に言い聞かせるように、「折り合い」「贖罪」「心の整理」という言葉を綴っておられるのでしょうね。

なんとなくですが、ぴのさんの相談文を読んでいて、この「折り合い」「贖罪」「心の整理」これらの語句が少し気になりました。

ズバリ言いますと、ぴのさんの頭の中にある「折り合い」「贖罪」「心の整理」こそが、ぴのさんを苦しめているのではないかと思いました。

これらの裏側にあるものは何なのか恐れながら申し上げますと、全て「自分が楽になりたいから」が当てはまります。

もしもぴのさんが、何かそのためになる方法はないか悩んでおられるのだとしたら、結局はその悩みこそが矛盾(=贖罪にならない)ではないかということです。

私は決して、ぴのさんを責めているわけではありません。
まずは、「もう一度仲良くしたい」と思う自分自身を許してあげることが大切だと思うのです。

もちろん「もう一度仲良くしたい」と思うのも結局は「自分が楽になりたいから」でしょう。しかし、「贖罪」のように自分の心を責めたり、「折り合い」といったもので駆け引きしてしまいがちな精神状態よりも、よほど健康的ではないかと思います。

それなのに、この思いだけは先程の「折り合い」〜等の思いと同列に並べることを許さないから、かえって執着を手放せられないようにも思います。

今述べたのは、友人とコンタクトを取りなさいという話でありません。もちろん、したらダメという意味でもありません。もう一度、そこから考え直してみることで、開かれる思いがあるかもしれないということです。

色んな角度からの考えの一つを述べさせていただきました。何かの参考になれば幸いです。

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有り難し
おきもち

1979年名古屋市生まれ。 真宗大谷派の僧侶です。
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質問者からのお礼

貴重なご意見ありがとうございます。
人に相談するのが苦手で他の友人にも相談しづらかったので心が救われました。
もう一度落ち着いて心の整理をしようと思います。

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