友人でいることがつらい
いつもお答えいただき、ありがとうございます。
友人関係で悩んでいます。
1年前、川辺でウクレレを弾いていた76歳女性に声を掛け、LINE交換をし、それから毎日朝の挨拶をしていました。
悩みを相談するようになり、それはまだよかったのですが、親から「1か月19万円払え」という理不尽なことに「お母さまはあなたを思って言ってるのよ。お母さまを大切にしなさい。」好きな人の話をしても「この人はダメ!」といった調子で、遠回しにその人の悪口を言うようになり、好きだった人と険悪な関係になり、壊れました。
仕事で悪口が横行していてしんどい、と言っても「私の方が大変だった。仕事というのはそういう物だ」と言い、工場で働いていたと言っても「あなたは世間知らずの良いお嬢さん」と言ってきて、頭にきて、怒ってしまいました。
でも、切ってしまうと、寂しいし、恩を仇で売るようなことをしてもいいのか、と悩んでいます。友人は間違ったことは言ってないです。でも友人でいることもしんどいです。でも寂しいくらいなら関係を続けた方がいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相手を見極めて付き合いの意思を。
拝読させていただきました。
「一月三舟」をご存知でしょうか。
人は時代により普通という基準を持ち合わせているものです。その普通という基準が築かれる年齢はそれぞれ異なります。
人は生きていく上で意志は必要ですが、固定観念は不要なものです。それは対人関係において邪魔となるものであるからです。
固定観念を持たない内に、人と付き合いをしていくと、相手の個性が見えるものであり、幼馴染や友達などに「癖はあるけど、良い奴だ。価値観だけは合う。」などと自然と分析でき、相手の癖(固定観念)を理解した上で付き合いは続いていくものです。
いわゆるミームーさんも誰かから見れば個性があり、ミームーさんの普通という基準があります。人によっては変わっている人だと捉えられることもあるでしょう。
それは、私たちも同じです。「僧侶だから」と相手が私たちに固定観念を持つこともあります。私自身も僧侶の思考観念は強いものです。だから、友達と会話するときなどは仏教に関することを聞いてこない以上、こちらからは話さないです。
見極める観点は
「寂しいから付き合いする」ということが念頭にある場合は少しずつ距離をとっていくことです。それは執着に繋がるからであり、相手も教えてあげなければ世間を渡り歩いていけない子になると異なった観点から説教じみた存在になっていくことです。
恩は大切です。
判断は頭でします。決断は心がします。
焦らずにゆっくりと心に従うことで、答えがでることです。
参考程度にとどめておいてくださいませ。
合掌
質問者からのお礼
法源さま
悩みにお答えいただき、誠にありがとうございます。
普通だと思っていた価値基準は自分の基準ですね。
法源さまの言う通り、友人は、親切心で話しているので、こちらとズレがあると思います。
寂しいから付き合うのだったら
距離をとった方がいい。
そして決めるのは自分の心である。
法源さまのアドバイスを参考にして決めようと思います。
法源さま、読んでくださり、誠にありがとうございます。