人並みに生きたいです
こんにちは、ぼんと申します。
初めての相談になりますので読みにくさあるかと思いますが、ご了承いただければ嬉しいです。
私は現在無職です。
会社に勤めていた頃は全く仕事ができず、よく上司や先輩からも叱責されていました。別にサボっているわけではないのに、指示を間違えて聞き取ったり、ミスをしたり、忘れたりと努力をしてもうまくいきませんでした。その後、体調が悪くなり一度休職をして復職後しばらくは働けましたが、症状が再発し再休職しました。
休職中は自分なりに、休職しないための対策をして臨みました。
具体的には仕事の進め方や人間関係、コミュニケーションについて勉強したほか、考え方を変えるために認知行動療法を日常に取り入れました。
しかし復職して1ヶ月もたたずに、再々休職になり少し前に退職もしました。
職場の人から冷遇されることも、仕事で苦労することも承知の上で、戻ったつもりです。
ただ私の予想以上に、上司からの度重なる嫌味やあからさまに私を辞めさせたい態度や行動が多く、その結果症状が再発しました。
管理職にも一度相談しましたが、嫌味な上司の味方で逆に責められただけでした。
今は転職活動もせず、資格勉強もせずただだらだらと過ごし、時には希死念慮も出ます。
前みたいに頑張ろうと思っても、体が動きません。
別に何か人より優れたいわけじゃないし、特別成功したいわけでもないです。
みんなが持っている普通の能力や幸せが欲しいだけ、自立した人並みの生き方をしたいんです。
どうすれば私のような不出来な人間でも、社会に認めてもらえますか?
努力をまたできるようになるために、どう考えて行動したらいいでしょうか?
長文になり申し訳ありません。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
普通こそ何より難しい
拝読させていただきました。
今はゆっくりと職のことは考えないことです。
走り続けることは誰もが困難であります。例えで表しますと、長距離マラソン選手(42.195km)などは水分補給をしながら走ります。しかし、ゴールがあります。そのゴールに向かうまでには上り坂や下り坂、平坦の道など色々でありゴールに向かいながら自身の体力を調整しながら走ります。
短距離であれば、休憩なしでありとあらゆる力を振り絞り疾走します。
人生はマラソンのようだという人もいます。しかし、マラソン選手も試合や練習以外はしっかりと休息を取ります。食事もとります。また走れるように体調管理をします。スポーツ三昧で脳裏が崩壊する前にストレス発散をします。
このようにマラソンを一つの例えをしましたが、自己が悪循環であるときは何をしても上手くいかないサイクルなのです。それは「地に足を着けていない状態」であるからです。これには全くといっていいほど霊的なものなんてありません。
自己を見つめる時間ととらえてください。
資格を取得するのにもままならない状態であるとも記してました。仕事に人間関係にと気持ちが低下しているときは集中力が散漫しがちになります。
部屋が散らかり過ぎるとどこから片付けていいのかも分からず、面倒臭い気持ちが先立つのと同じであり、何かを見つめる時期ではあるものの、自己を見つめる時間(休息)が何よりであるととらえることです。
職場を転々としても同じ境遇に遭遇するときは、自己を見失ってしまっているときや、他人の言動を意識し過ぎなときが多いものです。
皆、必ずしも少しながらは感じているものです。
仏教では「他人のしたことしなかったことは見るなかれ、自分のしたこととしなかったことだけを見なさい。」と釈迦の言葉にあります。
これは、ぼんさんに嫌味等を浴びさせる人にも問題があるのです。どんな問題なのか?それは人間性として問われることです。
何十年も生きてきて、良い人に巡り合わせなかった人もたくさんいます。そのような縁に遭遇したときに大事なのが、このままだと人間不信になる、心が汚れていくと気づくことです。
「普通」という基準を探さなくてもいいのです。ぼんさんはぼんさんに必ず合う仕事、人生に成っていきます。今起きている積み重なる不安定も無駄ではなかったんだと自身にいえる日が必ず来ます。すべては空なのです。
質問者からのお礼
法源様、ご回答ありがとうございました。
退職後、軽い人間不信に陥っていましたが心が汚れた影響だったのですね。
気付けてよかったです。
これからは自己をみつめつつ、人を信じる練習をしようと思います。
本当にありがとうございました。