働きたいのに働けない回答受付中
体調がここ数年優れずに働くことができていません。母親になってから、きちんとしなくては…と自分を追い込んでいたように思います。
働くこと、仕事を持っていない自分を受け入れられずにいます。まずは体調を安定させること(今はメニエールの症状で悩まされていましたが、少しずつ良くなってきました)なのですが…
少し良くなってきたので、求人を見ては面接を受けようとする私を見て、夫は「まだ早いんじゃない?」と言います。
自分にブレーキをかけています。
たしかにまだ早いと自分でも感じますが…
子供にも、胸を張っていたいのに、仕事がない自分は生きる意味がないんじゃないかと思います。独身のころは仕事ばかりしていました。
子供が産まれてから私は弱くなった気がします。
支離滅裂な文章になってしまいましたが…
働きたいのに働けないとき、どう気持ちを保てば良いのでしょうか。
このまま仕事ができないのては?とも思ってしまうんです。
よろしくお願い致します。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
焦りを受け入れて前進するには
mama様
はじめまして。
お辛い中、ご質問をありがとうございます。
前回の質問も読ませていただきました。
>幼少期から小児喘息、アトピー、甲状腺機能低下症、突発性難聴、メニエール…うつ病も酷い時よりは良くなりましたが
これだけあったら大変ですよね。
一つでも苦しいですよね…
私は昔「ありのままの自分」を
許すことができず、誰かに急かされるように自己犠牲で頑張っていた次期がありました。
なぜだろうと調べたら、
その裏にドライバー(交流分析の
拮抗禁止令)の声が存在していました。
それは幼少期「親に言われた否定的なメッセージ」や「親にされた否定的な行動」などでした。
〜以下の5つがドライバー
⑴「完璧であれ」(Be perfect)
⑵「一生懸命やれ」(Try hard)
⑶「他人を喜ばせよ」
(Please others)
⑷「強くあれ」(Be strong)
⑸「急げ」(Hurry up)
「完璧であれ」と言う声が
聞こえたら→
「ありのままでいいよ」
「完璧でなくてもいい」
「失敗してもOK!」と
自分に声を掛ける
「一生懸命やれ」→
「疲れたら休んでいい」
「無理はしなくても大丈夫」
「他人を喜ばせろ」→
「自分を喜ばせてもいい」
「自分で判断してもいい」
「嫌われてもいい」
「強くあれ」→
「人に頼ってもいい」
「弱さをさらけ出してもいい」
「急げ」→
「ゆっくりでいい」
「急がなくていい」
「自分のペースでいい」
これを読んでみて
「私は焦り過ぎていたな」と思いませんでしたか?
自分のペースで回復してからゆっくり仕事を始めたら良いのだ、と。
仏教における「諦める」とは、
物事の道理を理解して納得することを意味します。
日本語では「諦める」というと、
自分の願いが叶わず思いを断ち切るという意味で使われることが多いですが、本来は「つまびらかにする」「明らかにする」という意味です。
【追伸】
「仕事がない自分は生きる意味がないんじゃないかと思います」
「無職」であることは本当に悪いことでしょうか? 治療に専念することは、決して怠けているわけではありません。むしろ未来の健康、自分を取り戻すための大切な時間です。
主治医とも話し合ってみてくださいね。hasunohaでもお待ちしています。
おだいじになさってください
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
焦り過ぎていたな…と、ものすごく思います。焦り過ぎては行動に起こし、時間がかかってしまったように思います。
それでも、他者からどう思われるのか気になってしまい、行動しようとしてしまう自分がいます。
自分でも自分がよくわからないです。
今は新年度で、子供の環境の変化に、私も頭がいっぱいになり焦りが出ているのかもしれません。