休むことに罪悪感
とうとう休職の診断書を医師が書いてくれました。しかし、いざとなると休むことに罪悪感が湧いてきました。ギリギリの人数でやっている中で2週間程度の休職・自宅療養となっています。どうしても大きな声を出して自己中心的な入居者に対して強い口調で接してしまいます。その反動で他の入居者にも冷たい言い方になってしまうので介護士の前に人間として失格です。医師は休んでも休まなくても変わらないと思っているなら休んでみた方が…と言って下さっています
ただ、妊婦になったスタッフもいるので申し訳ない気持ちが消えません
昨日は、早退して心療内科に行きました。診断書を出しに行く気力もなくいけませんでした。配属先のリーダーには休みをもらうかもとは伝えています。復帰後でも入居者はいるのでどこまで自分を抑えきれるか‥。その中で障害者就労支援センターに行き契約更新が無くなるかもしれないので相談・登録をしてきました
障害に少しでも理解をしてくれる場所の方が自分の身体には良いかもと思ったからです。どんどんスタッフも辞めていきます。補充は外国人労働者です。一から教えなければならないので大変です。あと姉との関係も悪い方なので土日は家に居たくないのも本音です。職場の上司には今日、行こうと思いましたが休みで行けませんでした。明日、診断書を持って今後の働き方を相談します。休むと言うのは簡単ですがいざとなると休んでいいのだろうかと思ってしまいます
自分がどうしたいのか分からなくなってきています
診断書を無視して働いた方が良いのか診断書を書いてくれた医師には休んだことにすれ良いのでしょうか?休むべきでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そういう風に考えるクセや負の反発にこそ休息を。
せっかく休息できるんですから、休ませるものを休ませないと体も心も休まらないというものが体と心の真実です。
休みたいときあなたの体は「休みたい」が本音なんですよね。だから、つらい、苦しい。苦しいから休息を必要としているという状態なのです。
まずは、あなたの意識も休ませる。それは人間的な価値観。生命や身心の観点ではないでしょう。だから休まなきゃ、休んじゃいけないんじゃないかということ自体が不要です。天地自然、大自然の道理にかなったことだけやりましょう。
あなたの体も心も休息を必要としている、ということです。
もちろん医師の判断や診断も
よって、それは他の人も同じです。
入居者たちも同じ気持ちはあるのでしょう。
だから、悪さをした人に対しても強く当たると自分も嫌な気持ちにもなりましょうが、相手もこちらを面白く思わなくなるはずであり、しかもそれをあなたも分かるはずでしょう。ですが、それでも攻撃的に当たってしまうということは、それでもそっちを優先する習慣があるということです。しかも、そっちの習慣を優先することで結果的にこころが晴れやかにならなくなってしまう面もあるということでしょう。
人生に必要なスキルは心の安全運転です。
それが一番大事なのに人はそっちに向かわずに違うモノに価値を置いて、自分ではない人に安全運転の方法を訪ねているのです。
ご安心ください。
あなたの心の安全運転の為のハンドルも、アクセルも、ブレーキも、ドアも、窓も、タイヤもあなたの上にしかありませんから、誰も奪えません。
さらにはその高級車を運転するドライバーはあなたですから、人に運転方法を学ぶ必要はありません。
ですが、それでも人は時として必要になることがあるのです。
そんなときは、仏道というと難しいかもしれませんので、武道や書道のつもりでこの自分自身を道だと思いましょう。
波立つことがあろうとも、その波立つ心の水面、自己の心を鎮めれば、おのずから自分の上に鏡が現れる。
一切はわが鏡の上に映し出される言葉だけ。
それ以外の思い、迷いや不安は鏡や水面に映らざる文字のようなもの。
自分の鏡に映し出される出来事を静かに見つめて、本当に処すべきあり方を見出した上で事をおこすのです。人は本来は誰でも自分の安全運転にだけ中止すればよいのです。どんな暴走者もドライバーの心が定まれば安全運転です。🚗
質問者からのお礼
ありがとうございます
仰っている通りです。知らず知らずのうちに落ち度のない人たちにも強い言い方をしていると思います。今後の生活のなかに同じような事をしないようにします