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祖母に会いにいく後ろめたさについて

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有り難し有り難し 8

初めて質問をさせていただきます。

先日、数年前から意識不明だった祖父が亡くなり、葬式を執り行いました。
それからというもの、ずっと「もっと何かしてあげられたんじゃないか」「もっと色々と話すべきだったんじゃないか」という考えが頭の中をグルグルしています。

祖父は祖母と二人暮らしだったため、一人残された祖母はやはり意気消沈している様子でした。
なので今後週末には祖母に会いにいこうと考えています。

しかし、私はこれがただ自分が罪滅ぼしをしたいだけなんじゃないかと考えてしまいます。
祖父にしてあげられなかった分を祖母との交流で埋め合わせして自己満足に浸りたいだけなんじゃないかと思う自分がいます。
祖母を心配する気持ちも嘘ではないと言い切りたいのにどうしても自分自身の疑念を振り払えず、後ろめたい気持ちがあるのです。

自分が後悔したくないから、自分が安心したいからという理由で祖母に会いに行くくらいなら行かない方がいいのでしょうか。
アドバイスをいただければ幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

動機がどんなものであろうとも、行ってあげましょう 

 確かに、私たちの行動には多かれ少なかれ打算が有ったり不純な動機があったりします。人を陥れようとしたり、金品をだまし取ろうとしたり、監禁拘束しようとしたりすれば、犯罪です。こういう動機だったら、そりゃ相手にを傷つけますし、あなた自身法律的にも倫理的にも罪を追うことになりますね。

 自分をよく見せようという動機からの行動もよくあると思います。動機が不純だとしても、行う行動が仏教で言う「布施行(喜びを与える)」「利他行(他者を窮地から救うような行動」となる場合も多いです。動機も大事ですが、どういう行動をするか、その行動が相手や周囲を益することになっているか、という点が大事だと思います。

さて、ご質問ですが、
「罪滅ぼしをしたいだけなんじゃないか」
罪滅ぼし、いいんじゃないですか。とても良いことです。誰もが他者に迷惑をかけたり、してあげるべきことが出来ていなかったりしてます。ですから、出来なかったことを挽回しよう。過ちだったら、償おう。そういう気持ちは大事です。立派なことです。心配したり躊躇ったりするよりも、実行する方が立派です。

「自分が後悔したくないから、自分が安心したいからという理由」
 どんな善意からの行動であっても、独りよがりであっては相手を傷つけたり、周囲に迷惑をかけてしまいかねません。でも、お祖母様のために何かできることを考えているのですから、決して独りよがりではないと思います。あなたが行って、お祖母様が喜んでもらえるなら、それで十分なんじゃないですか。躊躇しても、お祖母様に何もしてあげられません。まずは、声を掛けてあげる事。電話してあげましょう。そして、顔を出してあげましょう。自分の動機や相手の立場を考えることは、大事です。でも、行ってあげることの方がもっと大事だと思います。行ってあげれば、「孫が来てくれた。」と喜んでくれます。孫が来てくれることを、楽しみにしますよ。まずは、お祖母様の所に行ってあげましょう。

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質問者からのお礼

回答いただきありがとうございます。
回答をいただいてからすぐに祖母の家にいきました。
不思議とモヤモヤが晴れたような気がします。
これからも定期的に会いに行こうと思います。ありがとうございました。

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