腫瘍を手術しないのは自殺でしょうか?
死に時なのか、生かされる時なのか、試されていると思っています。
人間関係が劣悪で同僚が酷かった。家族も冷たい。職場でも家でも誰からも必要とされない。生きていて楽しくない。苦しい。死にたい。消滅したい…自殺も何度か考えました。
2年ほどそう思っていたら急に大きな腫瘍が出来ました。自分の負の念が自分自身を病気にしたと思います。同僚のマイナスの念波の影響が私には耐えがたかったから、その影響もあると思っています。
(今はジョブローテーで他部署に異動になりました)
現段階で手術すれば5年後の生存率は80%程度だそうです。放置すると腫瘍は悪性になり死に至る可能性があるから医師は手術を勧める。
切開してみないと分からないし、切開しても分からないかもしれない。手術しても死ぬ可能性はあります。
ならば、と思い
天に任せて何も治療しないという考えは、仏教的にみて自殺でしょうか?
死にたい自分、運命を委ねたい自分、手術が怖い自分…手術するか迷っています。
お坊さんの意見を聴きたいです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「解脱」の為の時間を大切にする
こんにちは。
過去のご質問も拝見しました。
一度目(昨年末)の質問は、二年間のW不倫の後に「うつ病」発症し、人間関係に悩んだ末に「タイミングと方法が定まったら、あとはもう死ぬ」という内容でした。
二度目の質問(一月半前)は、「輪廻から解脱する事と消滅する事の違いは」という内容で、回答の先生から具体的な仏教的知識の御指南がありました。あなたは、その勧めに沿って学んでいきたいと返信で書いていましたね。
その後に、「解脱」と「消滅」の違いについては一定の得心がいくまで調べましたか。きちんと仏教の基礎知識を学べば(独学で十分可能な範囲)、「解脱」と「消滅」は明らかに別のことだと分かったと思います。
簡単に言ってしまえば、自覚的な仏教徒として生きるものにとって、迷い(仏教外で生きること)の束縛から「解」き「脱」れて仏に成る、これが解脱です。その解脱のタイミングは、宗派によって異なりますが生きている内に成し遂げる人もいれば、極楽に往ってから成し遂げる人もいます。後者の場合は、肉体の終わり=「解脱」=成仏になるわけです。
「消滅」は、仏教外で語れる言葉です。
死=肉体の物理的「消滅」。
付与すべき価値観は、これ以外何もない。
それが「消滅」です。
あなたは、「生きていて楽しくない。苦しい。死にたい。消滅したい」と書いています。人それぞれ苦しいことがある、その気持ちはわかります。
しかし、その苦しみをどう向き合っていくかを回答僧はアドバイスしています。
この故に、これまでのアドバイスの内容をどう自分の中で咀嚼して、自分は自覚的に仏教徒として生きるかどうかをご自身で整理する必要があるのです。
「消滅」は仏教の価値観ではありません。
「天に任せて」も、仏教の価値観ではありません(「天」とはあなたの生殺与奪を握るどちらかの神様を指すのでしょうか)。
ご自身は仏教の教えに生きたいのですか。
それとも仏教外があなたの基本スタンスで、参考程度で「仏教的」価値観を問うているのでしょうか。
あなたの宗派は分かりませんが「解脱」したいのだったら、まだまだ勉強、修行し足りないことが山積しているのではないですか。せっかく人間として生を受けたのだから、その「解脱」の為の時間を大切にすることを勧めます。相応の道を歩まない人に「解脱」は決してないのだから(字数制限)
自殺も病死みたいなもの
自殺者の9割は「うつ」等を患っているそです。
心の病の症状の一つとして希死念慮が出るのでしょう。
そう考えると、自殺も病死みたいなものかもしれませんね。
「自殺」の言葉の定義を議論しても、病気の苦痛は変わらないかもしれません。
治療しない場合にどれほどの肉体的な苦痛が待っているか、想像できません。
安らかに自分らしく生きて自分らしく死にたいなら、ひとまず、治療できるものは治療した方が良い気がします。
質問者からのお礼
お忙しい中に私のような者のために、お言葉ありがとうございます。
釋悠水様
過去のご質問にも遡ってチェックしていただきありがとうございます。
お言葉を読んで、「現実から逃げるのなら消滅で良い」と思いました。
真剣に解脱を目指して修行されているお坊さん達に対して軽率だったと思います。申し訳ありませんでした。
『「解脱」と「消滅」は明らかに別のこと』との事ですが、理解出来ておらず恥ずかしい限りです。「仏」を理解していないから解脱が理解出来ていません。
私にとって「仏」は「インド由来の神様」で、自分は仏教徒ではなく「ご利益のある〇〇様」を崇めるだけの御都合信者だと気づきました。
『人間として生を受けたのだから、その「解脱」の為の時間を大切にすること』
感銘を受けました。「真の仏教徒」になるのも良いかもしれないと思えました。ありがとうございます。
願誉浄史様
病気への理解を示すお言葉、気持ちが楽になります。ありがとうございます。
『自分らしく「死ぬ」』という事は、『自分らしく「生きる」』事と同じような気がして、私は生きたがりなのかもしれないと思いました。
ありがとうございました。