高級マンション
近所に高級マンションがあって、近くを通る度、羨ましくて悔しくて辛くなります。
私はきれいな服を買ったり高級レストランに行ったりするのが好きです。
部屋だって綺麗にしたいです。
ですが家は変えられません。
あまり働きたくないので、高級なとこには一生住めないと思います。
エレベーターとか入口とか綺麗で、本当に羨ましいです。
どうしたら気にならなくなりますか?
働けとかはやめてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どういう生き方をあなたが選ぶかです。人間をどう見ますか?
どうしたら気にならなくなる?嫉妬や羨望に関してどのように対処する?切り口や方法はいくつもあると思います
一つは貴方は今、目線が我が身にしか向いていないと思います。自分をみじめと思ってその私にしか目が向いていない。私たちは辛い目にあうと我が身しか眼中に無くなります。あいつらいいマンションに住みやがって、こっちは辛い思いをしているのに…という形で。これは私たちのオートマチック(自動)な思考です
だから、仏教では自己を観察し、自己の心の持ち方や目の向け方に注意します。私たちは油断すると嫉妬や恨み怒りに流されて行く。自分で苦みや悩みを作り出す
そこで、そうではなく、考えの流れを変えるのです
貴方は人間を何を所有しているかという一点で見ているように感じます。何を着ているとか、どこに住んでいるか…とかあなたが羨んでいる人間像はその一点でしょう…。その一点で人間を押さえてはいけない。高級そうな家に住んでいる人たちにも一人一人の人生がある。確かにマンション住めるという点ではその人たちは恵まれているかもしれません。でも、いい家に住む人全体を一括りに捉えるのはあまりに乱暴な思考です
別の見方だってできるはずです。違った思考法があるはず。例えば、そういう家に住んでいる人の中にだって、家族関係で辛い思いをしている人だっているでしょう。凄惨な事故で家族や子供を失った人だっているはずです。心の病でセラピーに通っている人もいるかもしれない。障害を負って部屋から出れずに過ごしている人だっているはずです。毎日が退屈でイライラしている人。もしかしたら自分よりも辛く、殺伐とした痛ましい人生を送ってきた人もいるかもしれない。家庭内暴力で苦しんでいる、親や子供がいるかもしれない。もしかしたらすごく貧しい家庭で育って、必死に頑張って、やっとお金を貯めて親のために良いマンションを買った人もいるかもしれない…
私達にできるのは、同じ物事をどう見ようとするかです。同じ光景を下らない金持ちが住んでいると考えるのか、そこに一人一人の人生があり、そこにも自分と同じように日々悩み苦しむ人が生きていると考えてみようとするかどうかです。先ほども言いましたが、前者を選ぶのは楽です。自動で出来ます。後者を選ぶのは難しいです
でも私は後者を選びたい。他者の人生を尊重しようとする道を選びたい。それ以外にないのではないでしょうか?
死ぬときは家を持って往けない
人は必ず死にます。
死ぬときには家を持って往けないと悟りましょう。
また、どんな立派な建物でも壊れるときがくると知りましょう。
さらに、羨ましがったり悔しがったりする心も瞬間ごとに浮かんで消えていく波のようなものだと気づきましょう。
マンションの前を通りすぎたらマンションのことは考えない。
すると、悔しい心も過ぎ去るのです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。