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「幸せなのに死にたい」の原因を知りたい

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

長文です。大丈夫な方はお目通し下さると嬉しいです。
自分は今以下の条件通りの「幸せなのに死にたい」状態です。

・「一般的に恵まれている」でなく、「自身が実際幸せを感じられている」状態の幸せである。楽しい事も多い。

・家族、友人、職場、恋人に恵まれ、適切で信頼出来る関係を相互で築けており、少なくとも自分は満足している。

・職や他者への不満は特に無く、基本的に感謝して過ごしている。

・セクシュアリティや趣味趣向、興味分野でマイノリティだが、周りは皆受け入れてくれており、将来への視野もそこそこ拓けている。

・自身に不満は無く、性格の悪い所と同じくらい良い所が好き。
他者評価はあまり気にならず、過去のトラウマは火葬くらい。自分には幸福が許されないといった考えも無い。

・金銭面は過去現在共に苦労していない。

・死ぬのが怖いので死にたくない。また、「幸せなまま死にたい」という気持ちや、有終の美的な考えは一切持っていない。

・不幸にはなりたくないが、かといって幸せになりたくて生きている訳ではない。
不幸でも幸せでもない中間または無でも、充分足る。

この環境条件下で何故死にたいとなるのか。その理由の検討がつかず、己と異なる知見を持った方々なら一体どう見るのだろうと相談させて頂く事にしました。

「幸せなのに死にたい」と調べると、多くの方の談を拝読する事が出来ます。
しかし、「周りの人(一般)から見て恵まれている」けど不足を覚えており消えたい……といった内容である場合が多く見受けられ、どうにも自分に近いニュアンスの例を見つけられませんでした。

「今の恵まれた環境を失うのが怖い」という可能性も考えたのですが、物事の変遷は特別でもなく、
極論幸せが抑自分にとって良い事なのか悪い事なのか判断を下せない為、理由としてしっくり来ませんでした。

最近変わった事といえば、
幼少期からの墓執着が遂に睡眠障害を引き起こしたので、初有給を使って添い寝用に墓石1つ目を購入した事くらいです。
墓はかなりポジティブなものとして認識していて、皆さんが一生物のぬいぐるみを買うのと恐らく同じ感触ではないかと思っています。僕より重いけど可愛い竿石が届く予定です。

こういう状態で「死にたい」と考えるに至る理由に検討がつく方、いらっしゃいましたら教えて頂きたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

簡単に考察まで

こんにちは。

確かにこれまでの相談で、「幸せなのに死にたい」のは現状に不安、人生への諦念からというケースが多いように思います。あなたが、「どうにも自分に近いニュアンスの例を見つけられ」ないというのも頷けます。

当てはまるかはわかりませんが、私は二つの可能性を挙げてみます。

一つは、人間は結局死ぬんだよね、という結論が見えすぎてしまっているから。

あなたの文面から、あなたの人柄を推測すると、非常に客観的で様々な角度から自分を把握している人だと思います。頭の回転の速いあなただから、きっと人間はこうして仕事や日常生活を過ごしているけれども、そこに意味や幸せなどを見出そうとしているけれども、結局人間は死ぬんだよねという事実があなたには大きく見える。

だから、人間を非常に端的にショーカットして表現すれば、人間=墓石である。
このため、墓石があなたに非常に身近な存在なのでは。

舎利弗というお釈迦様のお弟子さんも、弟子入りする前に祭りの風景を見て一人、このように楽しく過ごしていても100年たったら誰もいなくなる、と思ったそうです。無常観の感情が、あなたに大きなものとしてあるのでは。

二つ目には、死そのものについての興味です。

死はだれも経験をしたことがない。
その死というもの知りたい、肉薄したいという気持ちが抑えられないほどの衝動になっている。第三者から、周囲から見ればそれは奇異に映るかもしれないが、あなたにとっては関心の高い事項である。

全く的外れかもしれませんが、簡単に考察まで。

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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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欲か怠けか体調不良か。幸せな人生を。

あなたが死を考えると良い気分になれる状態であるのならば、その「良い気分」に対する欲の煩悩が原因なのかもしれませんね。
死への憧れの炎が脳内に灯ったままになっているだけ。
たまたま興味を引いた対象が死だっただけかも。
あとは、怠けの煩悩が原因かもしれません。
幸せだろうと不幸だろうと、生きている限り苦しみ(やらなきゃならない宿題)は無くなりません。
耐えられない苦しみではないけれど面倒くさいので、怠けの煩悩から死にたくなる可能性もあるでしょうね。
あとは、本当に自殺願望が何週間も続いている場合は、「うつ」等のメンタルヘルス不調の可能性があります。
脳・神経の体調不良、つまり肉体的(物質的)な不具合です。
その場合は医療機関に相談した方が良いでしょうね。
いずれにせよ、幸せに生きて幸せに死にたいですね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史 様

ご回答本当にありがとうございます。
読ませて頂きました。
消極的な欲からも積極的な欲からも死を思い起こす可能性があるというのは、大変新鮮な視点でした。
何かしら特殊でネガティブな要因というものがある筈だと考えておりましたが、
欲と同じくらい死とは俗世の隣人なのかもしれないなと感じました。
あまりに長く続いた際は、ご指南下さった通院の選択肢を手に取ろうかと存じます。
感荷致します。

釋 悠水 様

ご回答誠にありがとうございます。
無常観の感情が大きくあるというのは、仰る通りかもしれません。
人間=墓という縮図表現が何ともしっくり来まして、幼少期から墓の類は生活の場の延長という感覚だったと考えると、色々と納得出来る点が多くあります。
何だかんだ儒学畑の人間なので、未知にも関わらず生前死後の境界を曖昧に思っているのでしょうかね。
非常に興味深い考察、感荷致します。

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