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「幸せなのに死にたい」の原因を知りたい

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有り難し有り難し 14

長文です。大丈夫な方はお目通し下さると嬉しいです。
自分は今以下の条件通りの「幸せなのに死にたい」状態です。

・「一般的に恵まれている」でなく、「自身が実際幸せを感じられている」状態の幸せである。楽しい事も多い。

・家族、友人、職場、恋人に恵まれ、適切で信頼出来る関係を相互で築けており、少なくとも自分は満足している。

・職や他者への不満は特に無く、基本的に感謝して過ごしている。

・セクシュアリティや趣味趣向、興味分野でマイノリティだが、周りは皆受け入れてくれており、将来への視野もそこそこ拓けている。

・自身に不満は無く、性格の悪い所と同じくらい良い所が好き。
他者評価はあまり気にならず、過去のトラウマは火葬くらい。自分には幸福が許されないといった考えも無い。

・金銭面は過去現在共に苦労していない。

・死ぬのが怖いので死にたくない。また、「幸せなまま死にたい」という気持ちや、有終の美的な考えは一切持っていない。

・不幸にはなりたくないが、かといって幸せになりたくて生きている訳ではない。
不幸でも幸せでもない中間または無でも、充分足る。

この環境条件下で何故死にたいとなるのか。その理由の検討がつかず、己と異なる知見を持った方々なら一体どう見るのだろうと相談させて頂く事にしました。

「幸せなのに死にたい」と調べると、多くの方の談を拝読する事が出来ます。
しかし、「周りの人(一般)から見て恵まれている」けど不足を覚えており消えたい……といった内容である場合が多く見受けられ、どうにも自分に近いニュアンスの例を見つけられませんでした。

「今の恵まれた環境を失うのが怖い」という可能性も考えたのですが、物事の変遷は特別でもなく、
極論幸せが抑自分にとって良い事なのか悪い事なのか判断を下せない為、理由としてしっくり来ませんでした。

最近変わった事といえば、
幼少期からの墓執着が遂に睡眠障害を引き起こしたので、初有給を使って添い寝用に墓石1つ目を購入した事くらいです。
墓はかなりポジティブなものとして認識していて、皆さんが一生物のぬいぐるみを買うのと恐らく同じ感触ではないかと思っています。僕より重いけど可愛い竿石が届く予定です。

こういう状態で「死にたい」と考えるに至る理由に検討がつく方、いらっしゃいましたら教えて頂きたいです。

2021年9月30日 4:50

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

簡単に考察まで

こんにちは。

確かにこれまでの相談で、「幸せなのに死にたい」のは現状に不安、人生への諦念からというケースが多いように思います。あなたが、「どうにも自分に近いニュアンスの例を見つけられ」ないというのも頷けます。

当てはまるかはわかりませんが、私は二つの可能性を挙げてみます。

一つは、人間は結局死ぬんだよね、という結論が見えすぎてしまっているから。

あなたの文面から、あなたの人柄を推測すると、非常に客観的で様々な角度から自分を把握している人だと思います。頭の回転の速いあなただから、きっと人間はこうして仕事や日常生活を過ごしているけれども、そこに意味や幸せなどを見出そうとしているけれども、結局人間は死ぬんだよねという事実があなたには大きく見える。

だから、人間を非常に端的にショーカットして表現すれば、人間=墓石である。
このため、墓石があなたに非常に身近な存在なのでは。

舎利弗というお釈迦様のお弟子さんも、弟子入りする前に祭りの風景を見て一人、このように楽しく過ごしていても100年たったら誰もいなくなる、と思ったそうです。無常観の感情が、あなたに大きなものとしてあるのでは。

二つ目には、死そのものについての興味です。

死はだれも経験をしたことがない。
その死というもの知りたい、肉薄したいという気持ちが抑えられないほどの衝動になっている。第三者から、周囲から見ればそれは奇異に映るかもしれないが、あなたにとっては関心の高い事項である。

全く的外れかもしれませんが、簡単に考察まで。

2021年9月30日 14:30
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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欲か怠けか体調不良か。幸せな人生を。

あなたが死を考えると良い気分になれる状態であるのならば、その「良い気分」に対する欲の煩悩が原因なのかもしれませんね。
死への憧れの炎が脳内に灯ったままになっているだけ。
たまたま興味を引いた対象が死だっただけかも。
あとは、怠けの煩悩が原因かもしれません。
幸せだろうと不幸だろうと、生きている限り苦しみ(やらなきゃならない宿題)は無くなりません。
耐えられない苦しみではないけれど面倒くさいので、怠けの煩悩から死にたくなる可能性もあるでしょうね。
あとは、本当に自殺願望が何週間も続いている場合は、「うつ」等のメンタルヘルス不調の可能性があります。
脳・神経の体調不良、つまり肉体的(物質的)な不具合です。
その場合は医療機関に相談した方が良いでしょうね。
いずれにせよ、幸せに生きて幸せに死にたいですね。

2021年9月30日 5:33
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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史 様

ご回答本当にありがとうございます。
読ませて頂きました。
消極的な欲からも積極的な欲からも死を思い起こす可能性があるというのは、大変新鮮な視点でした。
何かしら特殊でネガティブな要因というものがある筈だと考えておりましたが、
欲と同じくらい死とは俗世の隣人なのかもしれないなと感じました。
あまりに長く続いた際は、ご指南下さった通院の選択肢を手に取ろうかと存じます。
感荷致します。

釋 悠水 様

ご回答誠にありがとうございます。
無常観の感情が大きくあるというのは、仰る通りかもしれません。
人間=墓という縮図表現が何ともしっくり来まして、幼少期から墓の類は生活の場の延長という感覚だったと考えると、色々と納得出来る点が多くあります。
何だかんだ儒学畑の人間なので、未知にも関わらず生前死後の境界を曖昧に思っているのでしょうかね。
非常に興味深い考察、感荷致します。

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自分の二面性に苦しんでいます

はじめまして。 私はいつも明るく笑顔で過ごし、年上には可愛がられ年下には頼られ、友人からも頼りにされるように努めております。 体が強くないこともあってよく周りの方々には助けていただいており、その結果様々なご縁に巡り会えました。 しかし、私はいつも人のご厚意を利用して自分の望む結果が手に入るようにしているだけだと物心ついた時から気づいてはおりました。 自分がなぜ人に優しくするのか、それは畢竟自分の為に他なりません。 自分の中には2つの自分が居るように思います。狡い自分とその状態を俯瞰して心を痛める自分。 恩義を売っておけばいずれこういう時に便利だろう、相手が求めているものは何か探って効率的に人望を集めよう。 体が強くないのは事実ですが、それさえも周囲の手助けを引き出せるよう仕込める自分が恐ろしいです。 冷静な時(平常心)は狡い方がいたって普通に活動しています。むしろ心がかき乱されたりする時にこそ、俯瞰して自分の実情を嘆いています。両方とも私であることに変わりはありませんが、余りに乖離しています。 そして生来、私は周りの人の助言が心に入って来ませんでした。私が相談相手になったときに相手にかける言葉の想定解の羅列に見えてしまうのです。 今はおそらく、俯瞰する力が強いのかと思います。神仏に額づいて許しを請いたい気持ち、罪悪感でいっぱいです。 相手が喜んでいる私を演じることが罪滅ぼしならば、後々利用しようとする心があってもそのまま演じていた方が良いのでしょうか...。 何か私を1つに纏める、軸のような言葉をいただけたらと思います。 そしてこんな私ではありますが、少しでも心安らかに暮らしていける方法などはありますでしょうか。 長々と失礼いたしました。何卒よろしくお願いします。

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過去の自分が怖いです

過去の嫌な記憶がフラッシュバックしてきて辛いときに、このサイトを見つけて何かのヒントになればと思い、相談させて頂きました。 私には、半年程前に強迫症の症状がありました。主に加害恐怖です。誰かを傷つけてしまった、SNSで誹謗中傷をしてしまった、など誰かに嫌な思いをさせてしまったと感じることがありました。当然そんな事はしてませんし、したいとも思いません。ですが、妄想が鮮明で、本当に自分がしたかのように感じたのです。もしかしたら、無意識のうちに罪を犯しているのかもしれないと考えるときもありました。 そんなことを考えているときはとても辛くてでも、誰かに相談できることではなくて、不安が去るのをじっと待っていました。数日後には不安は消えて、日常を送り、また別の不安で辛くなるという繰り返しの日々を送っていました。 当時、上京をして1人暮らしをしていたのですが、情緒が不安定になったり、うつ気味になったり、専門学校で辛いことがあったりと、色々重なって学校を辞めて実家に帰ることにしました。それからは体調も良くなり、次第に元気がでて回復してきて、新たに、勉強を始めて、いずれは大学か別の学校に行きたいと考えています。 ですが、冒頭にも書いたのですが、当時の辛いことがたまにフラッシュバックしてきす。一度は自分の中で落ち着いたことなので、そのまま流せることもあるのですが、何回かはすごく辛く感じることがあります。本当に罪を犯していると感じるときもあります。分からないので、実際に起きてから考えようとしているですが、私は、間違っていますでしょうか? 長くなってしまい、すみません。返事を頂けたら幸いです。

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「超客観的」な感覚になってしまいます

もし、何か関連するものをご存じであれば教えてください。 まず、現在の私の状況です。 ここ何年かずっと続く感覚があります。それは自分のあらゆる「主体」という感覚が薄れているような感覚です。 自分のあらゆる行動、容姿がさも他人であるかのような感覚になります。 今こうして文章を打っているときも、脳波で動くロボットアームを動かしているみたいです。 飲食は車にガソリンを入れているような感覚だし(味覚はちゃんとあります) 鏡に映る自分を見れば、一瞬「誰だ?」みたいな気分になります。 郵便物の宛名で書かれた自分の名前はたまに誤配送を疑うくらい知らない人の名前に感じます。 などなど、そのように基本的にあらゆる自分の状態を超客観的(?)な視点で見てしまいます。 肉体だけ精神と切り離されたような、逆に言えば私の精神だけが世界から切り離されたようななんとも言えない感覚です。 一部の感覚は他人にも当てはまります。 食事や睡眠をとる他人を見ていると、好きでも嫌いでも気持ち悪いとかそんなものは一切なく「あ、食べてる(寝てる)」と不思議な感覚で、フラットに眺めてしまいます。 思考する自分に対しては「主体」としての意識はあるので、ただ肉体と精神が遠ざかっているようです。 距離としては双方それほど遠ざかっていないと思うので、2重人格とかそういったものにはならないと思います。 そういった状況を受けて、さらに最近変化してきたことがあります。 こういった感覚や状態は、俯瞰しているせいか精神の「凪」みたいな状態を招くことが多くなりました。 怒れば心拍数が上がり頭に血が上る感覚がありますがそれも俯瞰 恥ずかしくなれば顔が赤くなりますがそれも俯瞰 昔よりずっと怒りなどの感情を抑える事ができるようになりました(肉体的反応は制御できませんが) 普段はしばしば瞑想をするくらいですが、特にちゃんとトレーニングを積んだわけではありません。 肉体と精神が離れる。そんな感覚をずっと抱えていただけです。 とにかく自分の中でなぜ、どのようにこうなったのかうまく説明がつかない状況なので、もし「それこういったものでは?」となにか引っかかるもの、ご存じのものがあれば教えていただけないでしょうか? 長くなってしまい恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。

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自分の状態について知りたいです

はじめまして。あまり当てはまるカテゴリがなく、こちらにさせてもらいました。ご回答いただきたく存じます。よろしくお願いします。 私は長らく精神疾患と難病を患っています。精神疾患は色んな影響があり、ちょっとした心の問題だったのが服薬した薬や医師の影響で脳の問題とされる病に変異しています。 なので、生きることが本当に困難でした。ただ、最近になって私はなぜこんなにも苦しんでいるのかと全てわかりました。18年前、好きだった子にいやがらせをされたことで私は人一倍繊細だったこともあり、心が死んでしまったように悲しく辛かったのです。それが全ての始まり、その子が全て悪いのではないですが間違いなく、私がおかしくなっていった始まりでした。 私は私のために、SNSにいたその子にメッセージを送りました。18年間、忘れたくても忘れることができなくて夢にまで現れるような子でしたが何も恐れはありませんでした。私は私が納得したかったんです。 謝ってほしくもなく、償いもいらないが私が長らく苦しんだことを伝えたかったんです。君がとっくに記憶からないことで、私は辛かった。何度も死のうと思った、やりたいことも諦めてきた。それを知ってくれと。返事はないだろうと期待してなかったのですが、意外にも返事が返ってきました。謝られましたが何も思いませんでした。 私が私自身の苦しみに気がつけず、もがいている間その子は自分の夢を叶えていました。私は夢とか全部諦めて君とは真逆の道を歩いた、と言ったところ、自分は周りの奴らが寝てたり遊んでる時に練習ばかりで我慢してたとかやりたいことをしてるのは我慢したからだ、まだ叶えてる途中だと、少し腹立たしそうな、そういう反応が返ってきました。 でも、私は何とも思わなくて。だからなんだろう、と何も響くものがありませんでした。なので、君の言葉は読んでも何も響かないし怒りも感じない。謝られても嬉しくも喜びもないんだ、と伝えました。 私はこの自分の感情が不思議です。たしかに昔は憎かったはず、もっと相手に怒りをぶつけたりするのかと思ったら何にも感じなくなってました。その人に何を言われても、心を素通りしてしまいました。 仏教の世界ではこういう状態が何かわかりますか?私は無関心とは違う気はします。怒りもありません。ただ、文字のままにしか受け取ることができずなんの感情も湧きませんでした。

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