マナーやルールを守らない自己中な人種
こんにちは。どうしてもモヤモヤしてしまうことがあります。
それは、「人の迷惑を顧みず、自己中に振る舞ったりマナー違反をしたり社会的ルールや条例を破ったり、好き放題生きてる人は同じような仲間に囲まれて楽しそう。きちんと真面目に生きてる人ばかり被害や迷惑を受けて損している気がする」ということです。
歩きタバコをしてポイ捨てしたり、花壇にゴミを捨てたり、街に勝手にスプレーアートして爆笑していたり、公共の場でマスクをせず仲間と練り歩いて騒いだり、路上飲みをして周辺にゴミや騒音で迷惑を掛けたり、電車で靴裏が見えるくらい脚を組んで広げたり、人の好きなものや価値観をバカにしたり全否定したり、派手な髪色とタトゥーで柄悪く騒ぎながら街を歩いたり、店員に態度悪く絡む厳つい見た目のヤカラ…
すべて実際に見た光景です。
こうした人たちって、世間から冷たい目で見られて距離を取られる一方で、同じような価値観やモラルの仲間と連んで楽しそうに騒いでいるように見えます。
もちろん真似したいとか羨ましいとかそういう気持ちはありません(上記の行為をやるような自分は好きではないので)。
しかし、上記のような行為をやるような人種は何の責任もとらず、やったもの勝ちで、これからも仲間に囲まれて面白おかしく生きてくんだろうなぁと思うと、なんなんだろって不公平感を感じます。
マナーを守りきちんと真面目に生きてる層は迷惑かけられっ放し、我慢するしかない、そんな状態が許せないんです。
法や条例に基づくルールや、人間として守るべき基本的なマナーを守れないなら、それ相応のデメリットを受けて欲しい、じゃないと不公平じゃないか…と。
ちなみに私は、小さな頃から人の気持ちを考えて発言しなさい、公共の場では品を持った立ち振る舞いを、ルールはマナーは守る、困っている人は助けなさいなど教育を受けてきました。そう育ててくれた母を尊敬していますし、周りの友人も同じ感じです。
なので、ああいうガラが悪くマナーのない人達を見ると、理解できなさすぎて怖いです。
とはいえ、ああいった人種はどこにでもいるので、何か良い考え方やアドバイスいただけたらありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あまり人の価値観や人生に踏み込みすぎない
あなたが迷惑だと感じる人とは距離を取ることです。関わらないこと。その人たちの問題はその人たちのこと。100%自己責任。
あなたが問題にする必要はないと思います。
あなたがその人たちを救いたいと慈悲の心をお持ちであれば声をかけてあげたら良いと思いますが、基本近づかないことです。反社の人と関わらないということと同じです。電車でうるさければ隣の車両に行けば良いということです。
楽しそうに騒いでいてもその人が本当に幸せかどうかは本人にしかわかりませんし、実は見た目だけ派手で心の中は違うかもしれません。いずれにしても人の人生の心配していても仕方がないです。
今あなたが問題にしてしまうことが問題なわけですから、環境から離れ目の前の生活をきちんと送ることに徹するということです。いくら考えても解決はしませんし、イライラするだけですから、あなたはあなたの人生を生きて、できるだけ周りにいる人を幸せにする優しい生き方ができるようにするということが大切なのではないでしょうか。
政治的な問題
法律と予算の問題でしょうね。
ポイ捨ても場合によっては条例違反の可能性がありますが、警察がいちいちそれを取り締まるためには人員確保が必要です。
つまり、ポイ捨て取り締まりに使う予算(税金)を、私達国民がケチっていることが背景にあります。
しかし、本気で取り締まるために税金を使われたら、その分、他の場面で行政サービスが減ったり、増税が必要になったりします。
税金を安く抑えるためにマナー違反を黙認していると国民一人ひとりが「自分達の政治」の意識を持ち、納得するか、政治行政にもの申すか。
そう考えると、あなたにもできることはあると思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
相手の心配は一切していないですが
他人が気になるときは自分に集中していない証拠と言いますし、その通りかと思います。自分が夢中になれること、好きなことに意識を向けるようにします。
その視点を再度意識して過ごすようにますが、なかなか本日もうまくいかず、です。自暴自棄な考えも浮かんできますが、アンガーマネジメントなども学んで自分を律します。
お二方、アドバイスをありがとうございました。