人を裏切ったことについて
昔、私はネット恋愛をしていました。しかし私は相手を傷つけることをしてしまいました。
私がしたことは「浮気」でした。浮気は人を裏切る最低な行為だと知っていました。そんな最低なやつに堕ちてしまった自分が醜いです。
ここでは詳しく内容は言えませんが、他の人とかなり際どい内容のチャットや通話をしたりしていました。もちろん、その当時ネット恋愛で付き合っていた人とも同じことをしていました。
もう既に別れているのですが、社会を知るようになるにつれて「相当最低なことをしたのでは?」と感じます。例えば楽しいことがあった時、「浮気をしたような自分に楽しむ権利はない」と思うようになり、心の中に埋もれていた他の過ちも掘り起こされ「やっぱり私がいなければ、みんなに迷惑がかからなかった」と思うようになりました。
その上、自分の中で死を考えることで心が楽になると感じ、そんな感情を持つ自分がより一層嫌いになります。その悪循環です。
私は浮気をしてしまったという罪とどう向き合えば良いのでしょうか?今後、どんなに良いことをしても地獄に落ちるしかなく、無駄なのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
辛い過去が人生の根を張り強くさせるのです。
浮気を軽視する人もいれば、どこまでが浮気かを人はそれぞれの個々の判断で、浮気度が変わります。
浮気をOKという夫婦もカップルもいれば、目を合わしただけで浮気と躍起になる人もいます。
「地獄とどこにあるのか?」
簡単です。“今”なのですよ。
心が作り出すものですが、人は自分で悪いとはじめから分かっていても、言動にでたときに地獄への入り口となっているのです。
釈迦は「過去の原因を知りたければ、現在の果(結果)を見よ。また未来の結果が知りたければ現在の原因を見よ。」
と説いてくれます。
しかし、人間というものは煩悩の塊なのです。だからこそ、今回の事を後悔ととらえるのか、失敗ととらえるのかもその人によるということになります。
できるなら失敗ととらえてください。失敗というものは成功するまでの道のりなのです。完璧な人なんてこの世に誰ひとりいないのです。
今回の事で反省をされていることは、またこれから同じ境遇に出くわした時には、良い意味で薬(ブレーキ)となることです。
今の執着や後悔や失敗などと思う気持ちは今は辛く、自分を憎みたくもなりますが、長い人生において、過去は取り戻せないことでもありますことから、これからの肥やしとして、自身の樹木(人生)が倒れないように、今回の失敗で樹木は根を張り、これから強風がこようと、雷雨がこようと人生という自分の樹木が伸びるための試練であったと捉えてください。
合掌
質問者からのお礼
本当にありがとうございました。
しっかりと生きようと思います。