hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

いくらお祈りしても苦しいのが消えない

回答数回答 1
有り難し有り難し 20

私は、お寺巡りをして色々なすごい人たちが作った仏様のみまえで手を合わせるのが趣味というか、日常になっています。
今、私自身とてもしんどい状況下にあり、最近はそのことを思いながら「助けてください」と心の中で呟きながら手を合わせています。
しかし、しんどいことに変わりはなく、仏様がずっと見守っていてくださるという安心感すら得られずにいます。
それどころか、お祈りを捧げることによって、しんどいことを思い出してしまって逆にしんどさが悪化するパターンすらありました。
私の祈り方が間違っているのでしょうか?
正しいお祈りの仕方、作法や、お祈りする時の心の在り方についてアドバイス願いたいです。

2021年10月17日 10:22

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を救えるのは自分だけ

仏教に限らず、どんな宗教、どんな人種にもお祈りはあります。
祈る対象は違うけれど、祈る人の気持ちは一緒だと思います。
願い事の成就だったり、心の安寧だったり、あるいは救いだったり。
ただ、祈った瞬間に何かが起きるわけではありません、それは映画やアニメなど物語の中だけのお話で、現実には何も起こりません。

では何故、人は祈るのでしょう?

それは、自分の身の回りの「自分の力ではどうにもできないこと」に直面したとき、よりよい結果になりますようにとの願いからではないかと思います。
生きていると、自分の力ではどうにもできない出来事に直面する瞬間がままあります。
人間関係でも、他人は必ずしも自分の思い通りにはならないし、自分自身さえも老いや病など、思い通りにならないことだらけ。
そんな中でも、人はより良く生きたいと願い、祈ります。

祈った結果が、思い通りでは無かったとしても、文句は言えません、そもそも何も起こらないのですから。
全ては自分の行いと、ご縁の成り行きの結果でしかないのです。
思い通りにならない物事は、どうがんばっても思い通りにはなりません、時間の流れとご縁のなりゆきにお任せするしかないのです。
でも、不思議なことに、全部なげうってお任せしてしまうと、心が楽になるんですよね。
いったん全部をなげうってしまって、ただ祈る。
すると心にひとつ「句読点」をつけることができます、自分を見つめ直す、世界を見つめ直す、そういう作業ができるようになります。

祈っても「奇跡」はまず起きません。
けれど、自分を変えることはできるはず。

2021年10月17日 16:01
{{count}}
有り難し
おきもち


様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
私が、祈っても心が楽にならないのは、きっとすべてをなげうることができていないのだろうなと、思いました。
心のどこかで、自分のことは自分で決めたいって思ってしまっているんだろうなと、思いました。
これからはすべてをなげうることができるようにと、手を合わせていきたいです。
精進します。
本当にありがとうございました。

「お寺に参拝・訪問」問答一覧

今日お参りに行く時の不安

いつも私の独特な質問におこたえ下さり、ありがとうございます。 お彼岸なのでお参りに行こうと思っているのですが、また不安なことがあります。 お寺の門から入ってすぐ横に、仏様がいらっしゃいます。 私はお寺で仏様に対して酷いことを考えることが度々あり、そちらの仏様に考えた時にも手を合わせて謝っていたのですが、 今日お参りに行く時にも門から出る前に「いつも失礼なことを考え申し訳ございません」と手を合わせた方がいいのか、素通りして良いのか・・・ 謝る時には 1 お辞儀をする 2 合掌して礼拝 3 手を合わせて謝る時に頭を下げる 4 合掌して礼拝 5 お辞儀をする で良いものでしょうか? 門の前で何度も頭を下げている姿を他の人に見られるのも恥ずかしいという思いもあります。お寺に行くのに罪悪感や気の重さを感じています。 また、お寺に行っても、いつも心が乱れていて、酷いことを考えるか謝るかばかりで、感謝の気持ちを伝えなきゃと思ってもその気持ちが不足していてしっかりと伝えられない私がお寺に行く意味は何だろう?そもそも行っていいものなのか?と考えています。 何かアドバイスをいただけないでしょうか。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ