猫の死 自分のせい
昨年、飼っていた猫が亡くなりました。
まだ1歳でした。
今思えば、避妊手術をしたあとくらいから、性格が大人しくなり、食欲にも波があるようでした。
もう1匹の猫と元気に戯れたりもしていたし、ワクチン接種などで、病院には行っていました。
ある日、後ろ足がふらっとしていました。
その日は日曜日で、かかりつけの病院はお休みでした。でも、他の病院はやっているところもありました。
ですが去年もコロナが流行っていて、猫もコロナにかかる、という話を聞いていたため、病院も日曜は混んでいると思い、翌日の朝、病院へ行くことにしました。
翌朝、病院へ連れて行くと、「貧血だね」と言われました。
「吐いたり下痢したりはしてない?」と聞かれ、それはなかったので、「はい」と答えました。
点滴とステロイド注射をしてもらい、液体のご飯を食べさせてもらい、様子を見るように言われました。
帰宅し、ずっと猫と2人で横になっていました。
午後、猫が何度か鳴き、具合が悪そうに見えたので、朝とは別の、家の近くの病院へ行きました。
その病院では、「再生不良性貧血の可能性が高い。生きられても、明日、明後日まで」と言われました。
もう少し早く病院に行っていれば、助かったのかどうか聞きました。すると「それは分からない。だけど再生不良性貧血の場合は、助かっても定期的な輸血が必要で、体が弱い子だと輸血中に亡くなってしまうこともある。」と言われました。
その日も輸血することで、延命できることもあると言われたので、輸血のできる病院を探しました。なかなか見つからず、県外の病院にも電話しましたが、電話をしているうちに、猫は私の腕の中で亡くなってしまいました。
まさか、そんなに悪い病気だとは知らず、日曜日で病院も混んでると思って、翌朝に病院へ行くことを決めた自分が憎たらしくて、仕方ありません。
家には、犬と猫が他にもいます。本当はもう動物を飼う資格なんてありません。
猫が亡くなって1年経ちますが、母が、飼ってくれる人が他に見つからなかった、と言い、知り合いの人が保護した猫を連れてきました。
もちろん、大事に飼っていますが、本当は私は動物達と暮らす資格なんてないんです。
あの時すぐに病院へ行けば、もしかしたら再生不良性貧血とは別の病気で、助かっていたかもしれない。。
悔やんでも悔やみきれません。
私は最低です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
猫は寿命で死んだのです。
やま様を悲しませるために死んだわけじゃないです。
だから最低とはもう言わない。
あなたが最低と思うなら、猫は最低の飼い主に出会った可哀想な猫になってしまいます。
自分を見下すことは猫の尊厳を貶めることになることに気づいてください。
あなたが自身を最低と位置づけるなら、猫はやま様を最低に至らしめた犯人になってしまいます。
あなたが出会った猫は最低でしたか??
そうではないでしょう。
愛情を注いで、健康を案じていたからこそ出る後悔と反省の気持ちと私は受け止めています。
あなたすべきことは死因で迷うことではありません。
飼い主として生前の猫のことをちゃんと覚えておく。それが飼い主としてやるべきことです。
弟子たちよ悲しむでない。肉体は食によって保たれるのだから滅ぶのは仕方ない。教えや法は永遠である。とお釈迦さまも晩年に話されています。
僕はあなたのところの猫を知りません。
猫が死んだ忘れる以前に存在すらわかりません。
でもあなたは生前の猫と生活を共にしていらっしゃる。
あなたは猫が生きた証を知る立場にあります。生きた証を証明できるのはあなた達家族だけです。
だから、猫と過ごした時間、猫が大好きだったこと、猫に教えられたこと、ちゃんと心のプロジェクターに焼き付けることを願います。
キツい言い方になってゴメンナサイ。
最善を尽くしたかったからこそ出た最低発言は成仏させてくださいね。
病気は猫自身の肉体の問題
これが飼い猫ではなく野生動物や野良猫なら、病院にも連れて行ってもらえずに人知れず亡くなっていたでしょう。
あなたのせいではないと思います。
猫自身の肉体の問題です。
過去は過ぎ去りもう在りません。
頭の中で同じことをグルグル考えてしまうとストレスがたまります。
気に病みすぎると「うつ」になる可能性すらあります。
考えても仕方ないことは考えないようにしましょう。
あなたはまず、あなた自身の心身の健康に責任を持ち、思考の堂々巡り、妄想雑念を手放して明るい気分、具体的な思考に切り替えましょう。
「猫を飼う資格がない」と100回思うより、その時間を使ってペット達のために良いことをしてあげましょう。
質問者からのお礼
ご回答、本当にありがとうございました。
猫のためにも、前を向き、精一杯に生きていきます。
そしてずっと猫のことを忘れません。
私と出会ってくれたことに、心から感謝します。