仕事がつらいです。
学問の世界を志半ばであきらめて、
ズルズル非正規を渡り歩き、
たまたま今の仕事で、
初めて比較的マシな給料をもらえる形態の職に就けました。
事務職が主ですが、扱うものも面白く、
もっと楽しいと感じてもよいのに、
日々がつらく、
楽しいふりをしてやり過ごしていますが、
このままアクセルを踏んだら死ねる、みたいな気持ちにすぐに落ち込みます。
トップダウンで朝令暮改な企業体質、
ワンマンでいじめっ子体質な上司。
無理なスケジュールも見直させてもらえません。
ミスが起きない余裕がほしいために、
どんなに工夫して仕事を楽にする仕組みを作っても、
上から新たな仕事が降ってきて、
多少作った余裕が無効化されます。
自分のしたい学びに向ける時間も、
自分のしたい創作活動にあてる気持ちの余裕も、
やる気も生きていく気力も何もありません。
いい仕事に就けたんだから幸運、
評価されているのだから幸運、
金が入るのだから幸運、と言われるのにも疲れました。
よく、死んではいけないと言いますね。
役立たずは生きていてはいけないと言う癖に、死んではいけないと言うのです。
確実に死ねなければ面倒なだけなのがわかっているから、生半可な手段はとりませんが、つくづく疲れました。
人の役に立ちたいとは思いますが、便利に使われるのもつくづく嫌になりました。
そういう役に立つ、ではないのでしょう。
どうすればもう少し気楽に生きられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
視点の方向転換を
こんにちは。
「どうすればもう少し気楽に生きられる」かという、心の持ちようについてのご質問だと見受けました。
まずは、全体的にものの捉え方が否定的ではないか、と感じました。
仕事上で大変なこと、理不尽なことは多々あると想像します。
ただ、「人の役に立」つと「便利に使われる」の境目は何でしょうか。
同様の理解の仕方をすると、こうはなりませんか。
私がこのように日々回答するのは、「人の役に立」つことだと思ってやっています。時に文章が書けない、書ける気がしないときもありますが、基本的にはそのような思いでやっています。
しかし、これが「便利に使われる」と理解したらどうなるでしょう。
何で他人の悩み事に付き合わなければならないんだ。
私は単なる「便利」使いにすぎない、何とばかばかしいことをしたもんだ。
もう、辞めた。
こういう理解になります。
事実、仕事上ではいろいろな仕事が割り振られて、「便利に使われる」ことはあるかもしれません。しかし、転じて視点を変えれば、会社の同僚たちの「役に立」っている、と見ることも出来るのではありませんか。
つまり、両者の境目は自分のものの見方次第だということです。
どんな仕事、立場であってもものの見方が違えば現実は180度違って見えます。
「比較的マシな給料」ではなく、お給料もらえてとりあえずは食べられてよかった。
「自分のしたい学びに向ける時間」がないのではなく、出勤、退勤の通勤時間を利用してスキマ時間を見つけてみようかな。
「創作活動にあてる気持ちの余裕」がなくても、一日10分だけ取り組むというルーティーンを作ってみようかな。
また、あなたが学んできた「学問の世界」が助けてくれることはありませんか。
色々と日常で辛いことがあり、視点の方向転換は容易ではないかも知れません。しかし、その方向転換をどこかで志向しないと現実は灰色の度を増していく一方だと思います。よければ参考にしてみてください。
「ゆる~く」いくしかありません。
ラピスラズリさん。こんにちは。学業と家族ですか・・・。すこし私も同じ思いをしていますよ。なんでしょうね、年代も同じだし、まだ過去の記憶が新鮮ですものね。そして消えないのでしょうし、私も。
社会は理不尽でどうしようもない連中も事実います。その中で生き抜くことは十分に辛いことなのですが、最近他の方の回答でも乱発していて、あまり使わないようにと思うのですが、諸行無常(Everything is changing...)だと思うのです。事実そうでしょ、いいときもあれば悪いときもある。諸行無常というと国語の授業で、なんだか落ち目をみるような見方だけ潜在的に埋め込まされるような気がしますが、違いましてね、すべての物事は変化する。悪い状況も変化するのです。その変化の方向性は私にはわかりませんが、結局は良い方向と悪い方向の2項対立になると思いますので・・・どうにかなるんじゃないですか。
私も、だいぶん書物を読み込むことから積極的に逃げていましたが、何個か問答に回答したら、研究書でも読んでみます。肩をはらない「ゆる~い」生き方は私の人生の研究テーマです、決して逃げではありません。回答はここまでとします。
質問者からのお礼
釋 悠水様
ご回答いただき誠にありがとうございました。
視点の方向転換を、とのお言葉をいただき、まさにその通りであると思います。
しかし何度もそれを試みては突き落とされて今に至るのです。
また、便利に使われる、という言葉についても、言葉が足りなかったのであろうと思います。
あまり詳しくは書けませんが、私のことではないようにも、私のことであるともとれるようにも、曖昧な状況で新自由主義的な自己責任論を展開され、また彼の金儲けに加担しているのは確かであるわけです。
ともあれ、誰か、自分でないひとの言葉を欲していたのです。ありがとうございました。
清水光明様
ご回答いただき、誠にありがとうございました。
プロフィールからも言葉を拾っていただき、私の一番の未練に寄り添ってくださって、ありがとうございます。同じような経験をされているとのこと、なんだか心強く思いました。
ゆるーく、生きるのはとても難しく、常々もう少し良いように、考えすぎずに生きられたら、と思っていますが、なかなか長続きせず、気付けば淀んだ水底にいるようなことが多いのです。
解決の難しいことなのは百も承知で、誰かに聞いてほしい、同意してほしいだけだったのかもしれないなと思います。
お言葉をいただきまして、本当にありがとうございました。