祖父の死が頭から離れません
1年ほど前に祖父が亡くなりました。コロナ禍で面会も限られた人しか出来ず、孫である私はほとんど面会できないうちに亡くなってしまいました。私の両親が家に連れて帰ってきてやっと会えました。私は看護学生で寮に住んでいるので祖父の様子をすぐに確認できる状況にはなく、亡くなったことも電話で知らされました。その時から後悔や罪悪感に飲み込まれて押しつぶされそうな気持ちが続いています。
亡くなってから1年が経ち、徐々にに消化できるかと思いなんとか頑張ってきました。しかし知識がつくにつれ「あの時こうしてれば」「祖父はすごく苦しかったのではないか」「もっと祖父の気持ちを尊重した最期があったのではないか」などの後悔が頭の中でいっぱいになるようになりました。特に、ターミナルケアの授業を受けたり紙上事例で祖父と同じような状況の患者さんが出てきたりするととても苦しいです。授業では私が出来なかったことを突きつけられてる様な気持ちになり、すごく責められているように感じてしまいます。看護について学習する度に罪悪感や後悔の気持ちを感じて苦しくなり、そのこと以外何も考えられなくなります。
病棟実習も、病棟や看護に対して漠然とした恐怖を感じてしまい行けなくなってしまいました。看護について考える度に思い出して苦しくなるなら、もう看護師になるのを辞めたいとも思い始めました。学校の先生からは、学校を続けるなら実習の補習は行う事はできると説明されています。両親とも話をしていますが、上手く言葉にできなくてこの気持ちを理解してもらうのが難しいです。こんなことで苦しくなって実習も行けなくなる私は甘えているのでしょうか。ずっと引きずっている私がおかしいのでしょうか。頭の中が整理できず、何も考えられません。どうやって気持ちの整理をつけて、どの道を選べばいいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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甘えではありません
さくら 様 相談ありがとうございます。
まずは、ご祖父さまのこと、ご愁傷さまです。そしてご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝
さて、あなたが、引きずって悩み苦しんでいることは、変でも甘えでもありません。親しい人との喪失感は、人それぞれ、重さも長さも違います。同じ家族でも違いますから、あなたが今、そのような感覚はあっても不思議ではありません。
グリーフの心の痛みは、誰かに見守ってくれたり、穏やかに安心安全を感じていくとだんだんと心の痛みが減っていきます。さらに心を許せる人に、自分の思いを吐露してただ優しく聴いてもらうことで、癒されていきます。
まだ、癒しの時間が必要だということかと思います。
そして、ご祖父さまにできなかったことを後悔しているようですが、ちょっと一歩引いて、その時の自分の立場・状況を第三者的に思い出してみましょう。
あなたが後悔しているようなその気持ちは、あなたのせいではないですね。
コロナの状況もあるし、学んでいる途中ということもある。あなたが悪いのではないですね。また、ご祖父様にはできなかったけれども、あなたの思いやりや優しさが他の人に向けられてあなた自身が癒されていくことが出来ることも考えられますね。
私は、一昨年から看護の学生さんに死生観を学んでいただく機会を得ています。
その中で、今の命だけでなく、生まれる前からそしてお亡くなりになった後も、ずっと続く命に思いやりや優しさや愛情を向けていくことが、看護の方も大切じゃないかなと思うようになりました。私も看護学生さんから学ぶことが多いですが、皆さん一生懸命に命と向き合う覚悟を持っていきます。あなたも多分そうなれると思います。そうしてあなたは、ご祖父様に、喜ぶ顔を見せたいのではないですか?
私はそう思います。