22世紀は超宗派主義(日蓮宗、浄土真宗)
宗教戦争、宗派闘争はもはや、時代遅れだと思います。
特に日蓮宗と浄土真宗の僧侶方、これについての打開策を述べてみてください。
現在は、在家の僧侶で自営業です。専業僧侶の皆さんにいろいろと質疑応答したいです。人生そのままが、そのものが、修行だと思っています。
誰にでもあることなんで、敢えて書きません。そもそも、煩悩と自らを護るための自己防衛機能の境界線は、自由と自分勝手の違いにしか過ぎません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
さて、何のことでしょう
こんにちは。
「宗教戦争、宗派闘争」って、具体的に一体何を指しているのですか。
表題と非常に短い質問文からは、おそらくワールドワイドな話ではなく主に日本国内での「宗派闘争」をやめて「超宗派主義」を目指すべきだという趣旨のように見受けました。
私は「浄土真宗の僧侶」ですが、そもそも「宗教戦争、宗派闘争」しているという自覚は全くありません。「戦争」、「闘争」をどこかでしているんですか。よって、「打開策」などということも思い当たりません。
「特に日蓮宗と浄土真宗」と宗派を特定されるのも全く腑に落ちません。
「超宗派主義」が良いかのように書いていますが、釈尊からインド・中国・日本にかけて諸師がそれぞれの立場で精錬されたものを敢えてひっくり返す意義があるのですか。
アカウント名が「真言宗」の「在家僧侶」とのことですが、まずあなたから「超宗派主義」僧侶と名乗り、どういう行でどういう道筋で仏に成れるのか(あるいは既に成ったのか)を説明する必要があると思います。質問文には、十分にその余白があったと思いますが。
プライドの煩悩を認め合う
プライドの煩悩(慢)は誰にでもあります。
だから「自分達の教えは素晴らしい」と思いたい気持ちは、残念ながらお坊さんにもあります。
まずは、
「プライドの煩悩は誰にでもある。煩悩は自分と他人の悩み苦しみストレスの原因だ。だから自分達のプライド煩悩には気をつけるようにし、他人(他宗派)のプライドには慈悲の心で寛容に、お互い様の気持ちで臨みましょう。」
という風に、煩悩込みの人間を認めあうことが良いと思います。
宗派それぞれに歴史があり、宗派の教義を変えることは難しいと思いますので、宗派連立しつつも仲良くやりましょう。
まぁ、時代に合わない宗派はそのうち淘汰されていくかもしれません。
海外で暴力やテロに訴えている宗教は、時代に合わず淘汰されそうな教えだからこそ、必死のパッチになってもがき苦しんで暴れているのかもしれませんね。
質問者からのお礼
浄史師、ありがとうございます🙏