家族の死を前に控えて欠点ばかりの自分は…
昨年12月以来、一度ならず回答僧諸師より前途に光明を見ることのできるお返事を賜り、牛の歩みではございますが、少しでも実践すべく焦りながらも奮闘中です。
実は今近しい家族がそろそろ世を去ろうとしております。ところが私は、法に触れるようなことこそしなかったものの、とかく事、志と違(たが)う半生を歩んで参りました。ありがたいことで批判めいた思いは一切ありませんが、人生の半ばを過ぎて精神方面の障害者手帳と年金も頂いております。相談機関・医療機関にも御指導を仰ぎつつ、今できる仕事(デスクワーク)を日々まじめにこなしておりますが、いい年齢をして自立にはまだほど遠い現況でございます。
世を去ろうとしている家人は、もともとひどく寡黙な人物であり、息子である私とのコミュニケーションも決して十全なものではありませんでしたが、それでも私の迷い多き半生を終始温かく見守ってくれたことを今、こころの底から感謝致しております。
ところが入院費やその他、私はまったく力添えできず、社会的に成功しているきょうだいを煩わせてしまいました。どうにもならないことですが、私も「恥」という言葉は知っているつもりでございます。
とりとめもない、しかも愚痴めいた文面となってしまいましたこと、深くおわび申し上げます。お叱りをも含めて、今後私の人生の指針となるようなお言葉を、どなたかお手すきの折に頂きとうございます。繰り返しになりますが、お叱りをも甘受する所存であります。ここまで辛抱強くお読みくださってありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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社会的な評価より、あなたが生きていてくれることが最期の支え
あなたがこうして この世に誕生したこと、それが何より親の幸せだと思いますよ。
社会的な評価より、こうして あなたが生きていてくれること、それが今 支えとなっていらっしゃるでしょう。
人は生を受ければ、必ずいのち終えていかねばなりません。
ですが、仏様は、いのち終えることは「死」ではなく、「浄土に生まれること」だと教えてくださっています。それが仏様のお救い。
あなたは、恥などではなく、こうして懸命に生きておられます。繋いだ命を しっかりと生きておられます。そこに、成功も恥もないのですよ。
限られた時間を、どうぞ お大切に、お過ごしくださいね。
コミュニケーションがなくても、こちらから伝えることは出来るわ。言葉でも手紙でも。どうぞ悔いのない最期を。
そして、また浄土での再会を約束しましょう。
仏様を、たよって生きましょう。
そしたら、また遇えるのですもの。
質問者からのお礼
中田三恵先生:
さっそくの心に染み入る御言葉をありがとうございます。これで安心してその家人へも今生の別れを告げることができます。と同時に、いつか向こうの世界で再会した際、自信を持ってとは言わないまでも、恥ずかしくない思いで再会すべく、こちらの世界で引き続きやってゆける……そんな自信をお与え頂いたと思います。
中田先生と先生の背後にある仏様のお力に対し心より御礼申し上げるばかりでございます。胸にせまるものがあり、本来申し上げるべきお礼の10分の1も言い尽くせないでおりますこと、どうか広いお心でお許しくださいませ。