孫への遺伝
私は生活には支障のない奇形が手にあり子供には遺伝していませんがが孫への遺伝が心配で心を痛めております。
子供達はたとえそうなったとしても自分達の問題であり自分達が受け止めて考える事であり母である私には関係ないと言ってくれています。
現代の医学ではその状態への治療方法もあるようですがまだ見ぬ孫の辛さや親の気持ちを想像しては辛い気持ちになっています。まだ起きていないことを想像するのはバカバカしいと頭ではわかっていながら不安でたまりません。
心の持ちようをご指導願ます。
不安 起きていないことへの心配
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
杞憂は見守り
マロンさん、あなたの手が人と違う事で色々ご苦労されたのですね。ご自愛下さい。
さて、あなたの手が孫に遺伝するかもしれないという不安、さぞかし心配でしょう。杞憂という諺(故事成語)があります。意味は「心配する必要のないことを、あれこれ心配すること」なのです。昔中国の杞の国に心配性の人がいて、天が落ちてきたらどうしようと心配しておりましたが、知人から天は落ちてこないが世の中何があるのか分からないそれを落ちない内から心配していても仕方のないことと諭した。という話しからきているそうです。
仏教も余りに途方もない未来について考える事はしません。それよりも今どうするかが大切だという教えに基づき修行しております。一つ一つの積み重ねが大切です。そして終わりのない積み重ねをします。
あなたが自分の手で苦労したことは何ですか?そしてそれであなたはどのように工夫して乗り越えましたか?どんなものがあれば生活しやすいですか?誰でも日々自分はここが足りないと思う事はあります。でもそのまま放置して過ごすことは何だか勿体無くないですか。辛い経験したことばかり思うのでなく、その時自分はどんな工夫をして乗り越えようしたか?が大切です。たとえ失敗してもそれは別の方法を考える挑戦となります。世の中には勉強嫌い、運動が苦手、歌が音痴、声が高い低い、計算が遅い、手先が不器用、会話が苦手、短気など欠点や時にはそれが障害にまで発展することもあります。でもどうしたらいいかを常に考える事で自分を更新出来るのです。それは克服することだけではありません。例えば運動が苦手だけど絵は得意だから絵を上手く書かけるようにしようとか。
あなたの手は生活には支障が無いと書いてましたが、今までどのような辛い経験をして、自分なりに対処して生きてきたかを記録にまとめてみては如何ですか?あなたが頑張って生きていればあなたの遺伝が誰に伝わろうともその人の励みになると思います。一番ベストなのはどんな身体の状態でも差別や偏見の無い社会をつくる事です。それは残念ながらすぐには無理だと思いますが、あなたが今まで生きてきたことだけでこれからどんな人にもどこかで励みになっていることでしょう。
心配や悩みはハスノハに投稿して下さい。人は悩みながらも意識は前についています。時間は未来にしか流れません。だからこそイマを生きてください。
質問者からのお礼
迅速なお答えありがとうございます。もし心配していることが起きたら立派に成人した親となる子供達に具体的な対処や治療は託し孫や子供に明るい自分を見せられるようにしたいと思います。