生きている意味がない気がします
生きている限り人には優しく、困っている人には手を差し伸べてきました。しかし、その優しさや行動が相手の負担になっているという言葉をもらい、私自身の悩みを誰かに話すと「考えるのをやめればいい、考え方を変えていけばいい、考えすぎなだけ、悩んでいるのはあんただけじゃない、精神が弱いからだ」等簡単な答えしか返ってきません。
それは、私が話す事によって相手の方が負担になり、しんどくなっているからだと思います…
私の年齢で相談する事や悩みや気持ちを聞いてもらおうとしている事自体が間違っているので
しょうか。
他の事をして気を紛らわそうとしても集中できず、、
人に優しくしても、笑顔でいても、悩みを話そうとしても、、、相手の負担になる。
そうなると、これからの人生生きていく意味が無い気がします。
生きていたい気持ちも今は少しはありますが、数分後にはまた、生きていても人の負担になるなら生きていても意味が無いという気持ちになります。
とても苦しいです…
どうしたら気が楽になるのでしょうか…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
妄想雑念が過ぎ去る
雲は月を隠せても、月を壊せません。
雲が過ぎ去れば月は再び照らす。
嫌な気分になるような妄想雑念で一時的に心が曇っても、妄想雑念が過ぎ去れば、再び静かな心に戻ります。
あなたがどのような妄想雑念の癖があるのかわかりませんが、癖は上書きできます。
たとえば浄土宗では南無阿弥陀仏と念仏したり、仏様の救いを思い出す癖がついてきます。
心を家に喩えるなら、妄想雑念は心のお客さんで、念仏が主人。
お客さんが帰ったら心の真ん中には南無阿弥陀仏の主人がくつろぎます。
「うつ」の予防方法としては、違うことを考える、明日できることは今日しないなどが良いそうです。
体調不良になるくらい憂鬱なら、心療内科等を受診してみてくださいね。
浄土宗の場合、生きていれば南無阿弥陀仏の念仏ができるので意味があります。
一方、死ねば阿弥陀仏の力で浄土に往けます。
だから、生きても死んでも問題なし。
生きても喜び、死んでも喜びます。
追記
妄想雑念の癖は、脳ミソという車の脇見運転をするみたいな癖です。
今考えなくてよいことを考えたり、何回も同じことをグルグル考えたりして、しかもそれによって気分の浮き沈みまで起きると苦しいですからね。
まっすぐ走れば楽な道を、わざわざムダに蛇行すれば疲れるし危険。
心に妄想雑念が割り込むと辛くなります。
せっかく面白いテレビ番組があっても、嫌な気分になる妄想雑念が割り込むとテレビを楽しめませんね。
追記
どうせ妄想雑念するなら、楽しい妄想雑念が良いでしょう。好きなアーティストや子供時代の趣味などを見直してみましょう。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
全て妄想なのでしょうか…
実際目の前で起き、言われまして、そのように感じ悩んできていますが、、
私は妄想雑念の癖があるのでしょうか…
どのような妄想雑念の癖があるのか、自分でもわかりません…
心療内科等は何年か前に受診しましたが、事務的な冷たい対応で逆に鼻で笑われてしまいましたのでそれ以来行っていません。
生きても死んでも問題無しですと…
死を選んでも、喜びになるのですね…安心して選ぶ事ができそうです。
回答をいただき感謝しております。
願誉浄史 様
追記を拝見いたしました。
わき見運転…しすぎて、何度も事故に遭っています。
何か悪いことがあると、過去の辛いトラウマがよみがえり、真っ直ぐ進むのが怖くなってしまいます。
周りの人や、こちらにご相談や気持ちをお話ししてきましたが、相談する事で聞いている方の負担になっているのではないかと、感じてしまいます。
プライベートで信用していた人に、少しだけ話した結果、見事に音信不通になりました。
おそらく、ハスノハのお坊さんも私の相談にはお手上げになっているかと思います。
やはり私は誰にも話すべきではないのかと思います…
辛すぎて死を考えています…不安や自分への悔しさで苦しいです。
アドバイス、ありがとうございました。